日本パデルアカデミー

テニスとスカッシュのハイブリットスポーツ、パデル。 パデルは40年ほど前にスペインで生まれたスポーツで、欧州や南米を中心に親しまれており、本場スペインではテニス人口を上回る競技人口をもつ人気スポーツとなっています。 「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

パデル バンデッハ 壁 打ち方

絶世の美女が「お綺麗ですね」と言われときに、「とんでもない、私なんて全然綺麗じゃないですよ」と答えていたらどう思いますか。

ブサイクな男性が、「キムタクなんて全然カッコよくないじゃん」と言っているのを聞いたらあなたはどう感じますか。

どちらも鼻につきますよね。

こういった「鼻につく」発言をする人達に共通していることが一つあります。

それは「自分で自分を分かっていない」ということです。

前者の美女は自分のことを卑下し過ぎていて、後者のブサイクは尊大です。

だから周りの人がこういった発言を聞いていて鼻につくのです。

「自分を知る」というのは、人生において自身を成長させていく上で欠かせませんが、パデルでも上達しようと思ったらこの「自分を知る」という作業は欠かせません。

「上手いですね」と言われたときに上手い人が言う、

「わたしなんて全然上手くないですよー」

や、

下手な人が周りの下手な人を指して言う、

「あいつ下手じゃね?」

といった鼻につくセリフを聞いたことがある人は少なくないと思います。

まあ前者の部類に入る人はほとんどいませんが。。

私の知っている限りではほとんどの人が「本当の自分の実力より上」に見せようとします。

自分もバックボレーが苦手なくせに、人がバックボレーをミスすると「もっとこうしたほうがいいよ」的な発言をする人少なくないですよね。

「お前が言うな!」とつい心の中でツッコミたくなる人って必ずいます。

こういったことが言える人というのは、「自分がバックボレーが苦手こと」に気づいてないのです。

でなければこういったことは通常は言えません。

ここに自分で早く気づかないと上達が見込めませんし、だんだん自分の周りから人が離れていってしまいます。

パデルはダブルスしかありませんから、こういった人は一緒にペアを組んでくれる人がいなくなる可能性があります。

だからパデルでも、

「自分の現在のレベル」

「自分が今出来ること、出来ないこと」

というのを把握しておくというのは必須です。

ちなみに私がいちばんペアを組みたいなと思う相手は、学生の頃時々いた、

「お前けっこう可愛いな」

と言われたときに、

「もーやめてよー恥ずかしいじゃん!私より可愛い子もっといっぱいいるじゃん!・・でもありがと。」

と言うような、

「顔はクラスで1番てわけじゃないけどそれなりに可愛くて、しかも男子ともふつうに仲良くできるノリの良い女子」

みたいなタイプの人がいいです。

こういう子は自分のことを(無意識的かもしれませんが)おそらく分かっているはずです。

「クラスで1、2位を争うほどではないが、可愛いか可愛くないかで言えば可愛いほうの部類に自分は入っている」

ということを。


例えが飛躍し過ぎましたが、自身のパデルについて卑下し過ぎていないか、尊大になっていないか、時々チェックすることを忘れずに。
 

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この記事では右利き同士が組む場合の考え方を書いたが、今回は左利き同士が組む場合について考えてみる。

と言いたいところだが今回は最初から質問である。

「プロの世界において、なぜ左利き同士のペアはほとんどいないのか」

なぜ右利き同士が組んでいるペアはいるのに、左利き同士のペアはいないのか。

これが分かるとパデルが上達します。(これはテニスのダブルスについても同様のことが言えます)

一言で言ってしまえば左利き同士が組むのはメリットが少ないから。

おそらくパデルでの利き腕の違いによるメリットを最大限活かせるベストなペアの組み合わせは「右利き&左利き」である。

「右利き&右利き」の組み合わせが多いのは、単純に左利きのプレーヤーが少ないからで、周りに左利きのプレーヤーがいればおそらく「右利き&左利き」ペアが必ず誕生するであろう。

左利きプレーヤーの希少性や、利き腕による組み合わせのメリットを考えると、「左利き&左利き」という組み合わせはもったいないうえにほとんどメリットがない。

左利き同士で組むという選択肢は「周りに左利きのプレーヤーしかいない」という状況でしか起こり得ないと思う。


もう一度質問。

なぜ同じ利き腕同士で組むと左利き同士より右利き同士のほうが有利なのか。

なぜ右利き同士(左利き同士)のペアより「右利き&左利き」のペアのほうが有利なのか。


こんなところから戦略は始まっています。

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先日パデルをしていたとき、一緒に組んでいた若い女の子がゲームを始める前に、

「そっか〜パデルって気持ち良くやってちゃいけないんですね〜」

と話しかけてきた。

このセリフ、とても嬉しかった。

心の中では駆け寄って抱きしめながら、

「そうそう、そうなの!分かってくれた?!気づいてくれた?!」

と言いたいぐらいの気持ちであったが、冷静を装って「そうだね〜」で我慢しました。

この子は間違いなくパデルの階段を一段上がったと言えます。

「なぜ我慢が必要なのか」ということに気づくのは、年齢やパデル歴には関係がありません。

今までの人生の中で様々な「我慢」を経験しているであろうオジ様やオバ様でも、コートに立つと猪突猛進なプレーに終始してしまう人も少なくないし、また、そういったプレーをしている方に「いつからパデルされているんですか?」と聞くと、「もう数年になります」というような方も少なくない。

一見すると人生経験豊富な人や歴が長い人ほどこういったことに気づきそうなものだが、どうもそうではない。

子供でも気づくこともあるし、数回やった人が気づくこともある。

こういったことはテニスでも同様である。

テニスに限って言うと、ジュニアなどではこの「テニスは我慢が必要」ということに早く気づいた子は強くなります。(特に日本では。ただし将来グランドスラムに出るぐらいの将来性があるかどうかというのはまた別です)

子育てと同様、指導というのは「こうするといいよ、ということにいかに気づかせるか」が肝である。

今までの経験上、先に答えを与えるとそれしかやらなくなり、答えを与えずにいるとふてくされ(そして簡単に答えをくれる人のところに行く)、ヒントを時折伝えながら「自分で気づいた」ように仕向けると、そういった子はとても伸び伸びとプレーをします。

大人でも同じですよね。

客観的に見ればやることは一緒でも、「人に言われたからやる」のと、「自分でそれに気づいたからやる」ときのテンションは雲泥の差がありますよね。

子供の頃によく経験した、「もうたった今せっかくファミコンやめて宿題しようと思ってたのに、親の“ゲームやめて早く宿題やりなさい!”の一言で宿題をやる気が失せるあれと同じです。

 スポーツ以外の、例えば芸術や料理などのジャンルはずぶの素人なので分かりませんが、おそらくこういった目に見えない部分に気づく、もしくは感じ取ることが出来る「感受性」みたいなものが豊かな人のほうが、その道で熟達していくのではないかと思います。

少なくともテニスやパデルではそうです。

昔上司に、

「感動て言葉はな、“感”じて“動”くって書くんだ。動ける自分、感じれる自分でいろよ」

という、ゴルゴ松本のような言葉をもらいましたが、今はとても感謝しています。
 
パデルで言うと、上手な人達のプレーやプロの試合などを見て何かを感じる、何かに気づく、ということから始めるといいですよ。
 

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