日本パデルアカデミー

テニスとスカッシュのハイブリットスポーツ、パデル。 パデルは40年ほど前にスペインで生まれたスポーツで、欧州や南米を中心に親しまれており、本場スペインではテニス人口を上回る競技人口をもつ人気スポーツとなっています。 「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

パデル テニス スカッシュ


パデルを普及させるときの注意点②の続き。

パデルというスポーツをまだ知らない人にどんなスポーツかを紹介する際、パデル関係者の多くは、

「簡単」「 楽しい」「すぐ上手くなる」

この三つをキーワードに説明することが多いが、これらのキーワードが何に係っているかというと、ほとんどの場合テニスである。

「テニスより簡単」「テニスより楽しい」「テニスよりすぐ上手くなる」

私がへそ曲がりなだけかもしれないが、こう言われるとどうだろう、テニスのほうが「上」をいっているように聞こえないだろうか。

極端に言えばパデル側の負け惜しみというか強がりというか、そんなふうに聞こえて仕方ない。

目指すレベルが低ければ、確かにテニスより簡単で楽しく感じる部分はあるが、逆もまた然りで、パデルのほうが難しくてテニスのほうが簡単な部分もある。

この「愛好家」レベルの人達のみに訴求出来ればいいのであれば、この謳い文句は間違いではない。

ただテニスのように老若男女、そして子供からプロテニスプレーヤーまで幅広いレベルでプレーする人達を集めながら拡大しようとするのであれば、この謳い文句は間違っている。
 
パデル独自の楽しい部分や魅力的な部分、そして、今は難しいが出来るとさらにパデルが楽しくなる部分などを伝えていくほうが、まだパデルを知らない人の心により突き刺さるのではないかと思う。

だがパデル関係者の多くは、「テニス党」や「テニス党にはいるが、党の方針に疑問を持っている人」、また「無党派層」を中心にアピールしているため、先ほどのテニスとの対比や「簡単に誰でもすぐ上手くなる」という、出ては消えていく新しいダイエット法のキャッチコピーのようなセリフで勧誘する。

ここでちょっと考えたい。

「簡単に誰でもすぐ上手くなるもの」に対して人はハマるのだろうか。

ゲームを例にとって考えてみよう。

1.始めやすくて簡単

2.始めやすいが難しい

3.始めにくくて簡単

4.始めにくいし難しい
 
1はスタート直後から簡単に敵を倒せ、しかも数回敵を倒したらゲームクリアー出来てしまうゲームには誰もハマらない。

4はスタート直後からかなり敵を倒すのが難しく、やっと少し進んだと思ったらもっと強い敵が現れ、それが果てしなく続くと分かったら、相当なマニアでない限りそのゲームは続けないであろう。

となると残るは2か3であるが、3は苦労して最初のほうの敵を倒し、「ちょっと難しいけど、これぐらいならやっていくうちに慣れてきて上手に敵を倒せそうだな」と思っていたら、その敵が最後の敵だった。

これでは拍子抜けですね。

もうお分かりだと思いますが、2のような要素を持ったゲームが多くの人を夢中にさせます。

スポーツに置き換えてみます。

サッカー→2

テニス→2・4

ゴルフ→2・4

野球→4

これらのスポーツに一つ共通項がありますが、それは何だと思いますか。

それはどのスポーツも、

「奥が深く、だんだん難しくなっていく」

ということ。

野球だけちょっと例外ですが、ここでは挙げていない他のスタンダードなスポーツも同様だと思います。

「最初始めてみたら結構簡単で出来そうと思ったんだけど、やってくうちにだんだん難しくなってきてハマっちゃったの」

こういった要素は必須で、これにプラスしてその競技への取っ掛かりが簡単であればなおいい、というのが私の個人的な見解です。

パデルはこの要素を持っています。

少なくともテニスよりは最初のハードルは低いです。

サッカーのように「とりあえずボールを蹴って遊ぶ」ぐらいまでなら誰でもすぐ簡単に出来ます。

でもサッカーはその先にとてつもなく長い道があるので、これだけ多くのプレーヤーやファンがいるわけです。

その意味ではパデルはサッカーに近い。

入りやすくハマりやすい。

なのに安易に「簡単に誰でもすぐ上手くなる」と言ってしまう。

もしかしたらこんなことは分かったうえで、それでも底辺拡大、普及のためにはそんな細かいことは言ってられないという思いがあり、半分自分を騙してでもそうアピールしているのかもしれない。

それならまだ分からなくもないが、このままいくとパデルが「ブーム」だとか「流行り」だとか「旬」だとかの言葉であっさり流されてしまわないかと一人心配している今日この頃である。
 

パデル テニス スカッシュ

パデルを普及させるときの注意点①にも書いたが、 元々すでに世の中にスタンダードなものとして認知されているもののファンの人達というのは、往々にしてそれらから派生したものや、それらを掛け合わせて別のものになったもの(やこと)を良しとしない風潮がある。

特に日本のスポーツ界ではこの傾向が強い。

一つの競技だけを小さい頃から長い間コツコツと努力を重ね、大人になりやっと花開くというストーリーが日本人はとても好きである。

別の二つの競技を掛け持ちでやるなんていうのは非難はされても賞賛はされず、それが仮に勉強だとしてもスポーツで結果が出ないとき、周りから「勉強ばっかやってちゃんと練習しないからだ」という言葉をよく聞く。

アメリカなどではメジャーリーグとNFLの二足の草鞋を履く選手もいたりと、シーズン毎に競技を変えたり複数の競技をやりつつ最終的に一つに絞っていくという形を取る選手も少なくない。

日本のスポーツは学校の「体育」から来ているため、こういった海外での「スポーツ」の捉え方と大きく異なるとよく言われる。

私も少し前まではこの一球入魂というか、一芸に秀でるというような考え方が好きであった。

なんでもやる、「浅く広く」の人は正直あまり好きではなかった。

野球やサッカーやゴルフなどの、すでにスタンダードなものとして確立されているスポーツにのめり込んでいる人であればあるほど、こういった考えの人が多い。

最近はボールを蹴って行うゴルフ「フットゴルフ」や、自分の頭をラケットの代わりにして行う卓球「へディス」など、新しいスポーツが日本に上陸している。

当然パデルもその中の一つである。

想像するまでもないが、ゴルフが大好きな人はフットゴルフを認めないだろうし、卓球が大好きな人はへディスを認めないだろう。

ということはテニス(スカッシュ)が大好きな人も当然パデルを認めない。

ここで言う好きというのは、LikeではなくLoveのほうである。

その競技が自分の人生の「一部」ではなく、自分の人生「そのもの」になってしまっている人達は間違いなくそういった「後発」の「邪道」なものを認めたがらない。

ただ、サッカーもゴルフも同じぐらい好きだという人はフットゴルフを好きになる可能性はあるが、こういった人はかなりの少数派である。

こう考えると、「支持政党が決まっている人」を引き込むより、「無党派層の人」を引き込むほうが容易なのは明らかである。

ただしこの場合も引き込み方に注意しないと、二番煎じだとか亜流だと思われあっさり飽きられかねない。

多くのパデル関係者はこの部分を間違えているように思う。

 

パデル テニス スカッシュ


今更ではあるがパデルとはどんなスポーツか。 

詳細はこちらに譲るとして、実際にはどんなスポーツなのか。

今の時代まったくもって新しいというものが出にくくなりつつある時代ではあるが、それはスポーツでも同様で(野球やサッカーのように世間に広く認知されるまでに拡大するという意味で)、スポーツでもなんでも新しいものの多くは、何かと何かを掛け合わせた「ハイブリッド」なものがほとんどである。

例えばお菓子のぷっちょ。

「ソフトキャンディ」「グミ」という別々のお菓子として食べられていたものを掛け合わせて、「ぷっちょ」として売り出す。

「テニス」「スカッシュ」としてそれぞれプレーさせれていたものを掛け合わせて誕生したのが、「パデル」というスポーツである。

残念ながら日本国内ではまだパデルはぷっちょほどの認知度は得られていない。

こういったハイブリッドなものを普及させるときに壁になるのが、先の都知事選と同様「無党派層の獲得」と「支持政党が明確な有権者の牙城を崩す」ことである。

政治は難しいのでぷっちょに置き換えるが、ソフトキャンディは「ハイチュウ」しか認めない人、「コーラアップ」こそ唯一のグミだと主張する人、そもそもお菓子を好きでも嫌いでもない人。

すでに「ハイチュウ」や「グミ」のファンの人達の興味をぷっちょに向かせようとすることと、今まで「お菓子」に興味がなかった人に興味を持ってもらうようにするには、当然方法や口説き文句は異なる。

すでにそれの「ファン」という人達は往々にして、自分が好きなものが1番でそれ以外は邪道か、そうでなくても下に見る傾向がある。

一方興味がない人というのは「食わず嫌い」な人が多く、とりあえず食べてもらうまでが一苦労だが、一度食べてもらえればそれに対してまだニュートラルなため、好きになってくれる可能性は高い。
 
 パデル業界の人達の中にこの違いを分かっていない、気付いていない、分かっているがそれほど重要なことではない、と思っている人が少なくないことが少々心配である。

 ここを疎かにすると、「斬新だけど受け入れられずに消えていく」多くのお菓子達と同じ運命をパデルも辿ることになる気がする。
 

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