日本パデルアカデミー

テニスとスカッシュのハイブリットスポーツ、パデル。 パデルは40年ほど前にスペインで生まれたスポーツで、欧州や南米を中心に親しまれており、本場スペインではテニス人口を上回る競技人口をもつ人気スポーツとなっています。 「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

パデル コーチ 川口 バンデッハ レボテ






先日練習した際、動画を撮ってくれていた方がいました。

おっさんみたいなことを言うようですが、本当に便利な世の中になりましたね笑。

普段の生活に限らず、何かスポーツで上達を目指そうとする人にとっても便利な世の中になりました。

ひと昔(ふた昔⁈)前だったら、自身がプレーしているところを映像に撮ったり見たりというのは、だいぶハードルが高いものでした。

ですが今では撮るのも見るのも簡単で、場合によってはスローで見せてくれたり以前のフォームと重ねて見たりすることもできます。

こうなってくると「今後10年でなくなる職業」に各競技のコーチも入りそうな感じもします。

不勉強なコーチは残念ながらその波に飲まれてしまうと思いますが、 「一生青春 一生勉強」という相田みつをの言葉を心の片隅に留めているコーチは大丈夫だと思います。

なぜなら、いくら動画を簡単に撮ったり見たり出来るようにになったからといって、その動画に撮ったフォーム(やプレー)が「正しいのか間違っているのか」分からなければあまり意味がないし、もっと言えば、「そもそもその練習は正しいのかどうか」ということが分かっていなければ、いくら動画に撮って練習したところで、それは「無駄な努力」になってしまう可能性が高い。

だからそういった部分をきちんと伝えられるコーチは生き残ることが出来ます。

また、ビデオカメラに比べればスマホやタブレットのおかげでかなり素早く撮った動画を見られるようになったとはいえ、プレーの直後にアドバイスやフィードバックを送るスピードという点においては、今のところ同じコート上にいるコーチには敵いません。

それから、これは最も大事なことかもしれませんが、「心のよりどころ」「安心」「自信」「信頼」といった目に見えない部分は、動画やスマホやアプリからは得られません。

例えばテニスだったら、Googleに「踏み込んで打ちなさい」と言われるより、ボブ・ブレットに言われたほうが自分の中にすーっと入ってくるし確信を持ってそれを実行出来ますよね。

もしくはSiriに、

「パデルが強くなるには?」

と聞いて、

「守備的にプレーしましょう」

と言われるより、ミゲル・シォリーリ(ベラ&リマのコーチ)に言われるほうが疑いなく実践出来ますよね。

どんなにテクノロジーが発達しても、結局は昔から求められているものがこれからも求められるのだろうと思っています。


・・・Siriに負けないよう頑張らなきゃ^^;
 

パデル テニス スカッシュ ボレー 壁

以前のこの記事とも少し関係してくるが、スポーツに限らず「無くて七癖」とはよく言われる。

これは当然パデルでも同様のことが言える。 

「クセ」というと、スポーツの世界では打ち方やフォームのことがよく取り上げられ、お笑いの世界では千鳥のノブが有名であるが、このクセというのは「頭の中」にも存在する。

この頭の中のクセというのは、プレッシャーがない平常時には現れてこない。

もし平常時にクセが出ているとしたら、よほど短絡的にプレーしているか、フォームに欠点があり過ぎて「ここにしか打てない」というフォームになっているかのどちらかであろう。

クセが出るシチュエーションとしては、「マッチ(セット)ポイント」「ブレーク(ゲーム)ポイント」などの、ゲームの取得や勝敗に関わるポイントだったり、自身のミスが続いているときや、相手の素晴らしいプレーで押し込まれているときなどがある。

簡単に言うと「緊張しているとき」のことであるが、この緊張しているときに多くの人が陥りやすいのは「攻め過ぎ」たり、「守り過ぎ」たりすることだ。 そして打つコースやショットセレクションにも「自分の得意なコースやショットを選びがちになる」といったわかりやすいクセが出てくる。

これに先ほどのフォームのクセを含めると、かなりの確率で相手のプレーが読める。

少し話は逸れるが、テニスや野球などでよく言われる「二年目のジンクス」というのはこれが原因だろうと私は思っている。(もちろん燃え尽き症候群に陥ったり、本人の怠慢などもあるだろうが)

一年目は相手の様々なデータがないので検証のしようがなかったが、二年目はその活躍した選手のフォームの研究に加え、打つ傾向の高いコースやショットのデータ、大事なポイントでのプレーの傾向などが分かってくるため、一年目とまったく同じことをしているだけ(同じことを考えているだけ)では勝てなくなってくるのだ。

このような目に見えないハイレベルな心理戦が行われているにもかかわらず、トップを維持し続けているプレーヤーがどんな努力をしているのかちょっと想像もつかない。

だからパデルのベラやテニスのフェデラーなどは多くの人から称賛されるのだ。

話を元に戻すが、プレーを読まれまいとして弱点の少ない技術を作り上げたり、頭の中を読まれまいとして様々な伏線を張ってプレーしているプロですら、プレッシャーがかかる状況下ではクセが露出する。

ということは我々一般レベルではかなり頻繁にクセが現れるはずである。

こういった相手のクセを知ってプレーするのとそうでないのとでは雲泥の差がある。

野球で自分がバッターのとき、ピッチャーが「ストレートしか投げてこない」のと、「ストレートかカーブかフォークかどれを投げてくるかわからない」というのと、どちらが打ちやすいかは言うまでもない。

このような「相手のプレーを読む」というのはコート上でなくとも学べることである。

練習時間の限られている一般の社会人の方には是非こういったことにも目を向けてもらいたい。 
 

パデル レボテ バンデッハ レマテ ボレー

「結局は身体の反応でしょ」  

パデルに限らず人生の中でスポーツをほとんどしてこなかった人、あるいはスポーツと(真剣に)向き合ってこなかった人というのは、往々にしてこの一言で「スポーツ」というものを括ることが多々あります。

イチローの「(ボール球にも)身体が勝手に反応してしまう」という言葉もありますし、突き詰めていけばこの言葉もある意味的を得ていると言えるのですが、スポーツと真剣に向き合っている人に対してスポーツは「頑張ってなんとかなるもんじゃない」「努力したって無駄」とも取れるような発言をする人というのは、 突き詰めて突き詰めて一周回ってこのような単純化したことに戻って来たわけではなく、ごく浅い意味で言っているであろうことは容易に想像が出来ます。

少なくとも自分自身ではスポーツに真剣に向き合ってきたつもりの私としては、当然のことながらこういった発言をする人が嫌いなのと同時に、もっとスポーツの価値、スポーツをしている人の価値を高めたいと強く思わされます。

自身の身体を意のままに操ることの難しさ、パデルやテニスであればそれに加えてラケットという物体を意のままに操る難しさ。

その動きが自然と出せるようになるまでに反復練習で費やした練習時間。

その技術を使って相手や見ている人をも唸らせる戦術を、自然と繰り出すまでに昇華させた頭脳。

その練習が必要だと感じる洞察力、その練習に時間とエネルギーを注ぐと決める決断力。

出場しなければ「勝ち負け」という判断を下されずに済むのに試合に出る勇気。

こういった背景を知って人のプレーやプロの試合を見るのと、ただ見るのとでは月並みな表現ですが感動がまったく違います。







これらのラリーを見て、「すごーい」の一言で終わらせてしまうような人ではなく、思わず感動の涙を流してしまう人を一人でも増やしていきたいと思います。
 

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