
追う立場と追われる立場。
人によっても違うだろうし、物事によっても違うだろうとは思うが、個人的には追うほうが好きだ。
というより、競技として何かのスポーツに取り組んでいる人の多くは「追う立場」のほうがいいと答えるのではないかと思う。
追う立場のメリットとして、目標が明確、(その目標に向かう過程もプレー自体も)楽しい、プレッシャーが少ない(失うものは何もない、という挑戦者のセリフを聞いたことがあると思います) 、課題が明確、モチベーションが保ちやすい、など様々なものがありますが、私は中でも「(プレー自体が)楽しい」という気持ちが持てることが一番のメリットなのではないかと思います。
デメリットとしては、一番(チャンピオン)ではない、目標を達成出来ていない、他者評価が低い、賞金やスポンサーが(チャンピオンと比べて)つきにくい、などが挙げられるが、後者の二つは他者が決めることであるし、前者の二つは達成した場合一転してそのプレーヤーを悩ます種にもなり得る。
一方追われる立場のチャンピオンのメリット・デメリットはこの逆になる。
チャンピオンにしか見えない景色、チャンピオンにしか出来ない経験などはもちろんあるが、次に目標とするものを見つける困難さ、モチベーションを保つことの困難さ、あらゆるプレーヤーから研究されること、またそれに対抗するために努力を続けることの困難さ、チャンピオンとしての立ち居振る舞いを求められること、などデメリットのほうが多いように思う。
もちろんその景色や経験、立場を楽しめる人もいると思うので一概には言えないが、子供の頃によくやった「ドロケイ」、どちらの役割のときのほうが楽しく感じたか。
泥棒のほうが楽しかったという人は少なくないと思うが、ドロケイで言うとチャレンジャーは泥棒 で、チャンピオンは警察なのではないかと思う。
泥棒はどこに逃げてもどんな方法で逃げてもいい。
時間内に捕まらなければいい。
一方警察は泥棒の出方に対応するしかない。
自由度で言えば雲泥の差だ。
チャンピオンとチャレンジャーの関係もこれに似ている。
自分がナンバーワンになるため、チャンピオンを倒すためにする努力と、あの手この手を使って自分を倒そうとしてくる相手を倒す努力、どちらが「楽しい」努力であろうか。
「勝とう」としてプレーするのと、「負けない」ようにプレーするのは同じようで全く違う。
プレー前、プレー中の気持ちも全く違う。
なんとなくお分りいただけたと思う。
逆説的になるかもしれないが、だからチャンピオンでい続けられる選手というのは素晴らしいのだ。
ナンバーワン、チャンピオンになるだけでも十分素晴らしいことだが、その期間が短かったり、なった途端に勝てなくなったりプレーを辞めたりする選手も少なくない。
ジャンルや規模は違えどどちらの立場も経験したが、自分としてはやはりチャレンジャーの立場のほうがいい。
「素晴らしい」と言われるものも悪くないが、それよりもプレー中に感じる純粋な「楽しい」のほうが自分にとっては大事。
すごく大きく捉えれば、パデルとテニスは「テニスというチャンピオンにパデルというチャレンジャーが立ち向かっていく」構図ともとれる。
やっちゃえパデル。
人によっても違うだろうし、物事によっても違うだろうとは思うが、個人的には追うほうが好きだ。
というより、競技として何かのスポーツに取り組んでいる人の多くは「追う立場」のほうがいいと答えるのではないかと思う。
追う立場のメリットとして、目標が明確、(その目標に向かう過程もプレー自体も)楽しい、プレッシャーが少ない(失うものは何もない、という挑戦者のセリフを聞いたことがあると思います) 、課題が明確、モチベーションが保ちやすい、など様々なものがありますが、私は中でも「(プレー自体が)楽しい」という気持ちが持てることが一番のメリットなのではないかと思います。
デメリットとしては、一番(チャンピオン)ではない、目標を達成出来ていない、他者評価が低い、賞金やスポンサーが(チャンピオンと比べて)つきにくい、などが挙げられるが、後者の二つは他者が決めることであるし、前者の二つは達成した場合一転してそのプレーヤーを悩ます種にもなり得る。
一方追われる立場のチャンピオンのメリット・デメリットはこの逆になる。
チャンピオンにしか見えない景色、チャンピオンにしか出来ない経験などはもちろんあるが、次に目標とするものを見つける困難さ、モチベーションを保つことの困難さ、あらゆるプレーヤーから研究されること、またそれに対抗するために努力を続けることの困難さ、チャンピオンとしての立ち居振る舞いを求められること、などデメリットのほうが多いように思う。
もちろんその景色や経験、立場を楽しめる人もいると思うので一概には言えないが、子供の頃によくやった「ドロケイ」、どちらの役割のときのほうが楽しく感じたか。
泥棒のほうが楽しかったという人は少なくないと思うが、ドロケイで言うとチャレンジャーは泥棒 で、チャンピオンは警察なのではないかと思う。
泥棒はどこに逃げてもどんな方法で逃げてもいい。
時間内に捕まらなければいい。
一方警察は泥棒の出方に対応するしかない。
自由度で言えば雲泥の差だ。
チャンピオンとチャレンジャーの関係もこれに似ている。
自分がナンバーワンになるため、チャンピオンを倒すためにする努力と、あの手この手を使って自分を倒そうとしてくる相手を倒す努力、どちらが「楽しい」努力であろうか。
「勝とう」としてプレーするのと、「負けない」ようにプレーするのは同じようで全く違う。
プレー前、プレー中の気持ちも全く違う。
なんとなくお分りいただけたと思う。
逆説的になるかもしれないが、だからチャンピオンでい続けられる選手というのは素晴らしいのだ。
ナンバーワン、チャンピオンになるだけでも十分素晴らしいことだが、その期間が短かったり、なった途端に勝てなくなったりプレーを辞めたりする選手も少なくない。
ジャンルや規模は違えどどちらの立場も経験したが、自分としてはやはりチャレンジャーの立場のほうがいい。
「素晴らしい」と言われるものも悪くないが、それよりもプレー中に感じる純粋な「楽しい」のほうが自分にとっては大事。
すごく大きく捉えれば、パデルとテニスは「テニスというチャンピオンにパデルというチャレンジャーが立ち向かっていく」構図ともとれる。
やっちゃえパデル。