日本パデルアカデミー

テニスとスカッシュのハイブリットスポーツ、パデル。 パデルは40年ほど前にスペインで生まれたスポーツで、欧州や南米を中心に親しまれており、本場スペインではテニス人口を上回る競技人口をもつ人気スポーツとなっています。 「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

2017/04

パデル テニス コーチ スクール

久しぶりにテニスの本を読みましたが良本でした。

テニスの精神の部分について書かれている名著、「インナーテニス」をもう少し具体的にしたような感じの内容でした。

インナーテニスの中の、「セルフ1・セルフ2」「ボールでコート上に絵を描こう」などの考え方は、当時無知だった私には目からウロコでした。

当時は「これを実践出来たら完璧なテニスが出来る!」と意気揚々としていましたが、その後この考え方も「一理ある。でもテニスはそれだけではない」と、これをも包むさらに大きなものに触れることになり、大変なスポーツをしていること、そしてそれを指導する職業に就いていることに恐れおののいたのと同時に、やる気が湧き上がってきたことを思い出しました。

インナーテニスにしてもこの禅テニスにしても、どうしても少し神秘的な感じのする内容になってしまうので、「信じる者は救われる」的な、信じること自体が目的となりがちです。

当時の私もそんな中の一人でしたが、「テニスというのは突き詰めていけば奇跡的なことなど何一つないんだよ」という言葉をある方から聞いたとき、目が覚めました。


さてほんの一部(といっても大量笑)ですが、抜粋します。 

パデルプレーヤーはパデルに置き換えて読んでみてください。 
  • 自分のことを、何本かはひどいショットを打つこともある優れたプレーヤーだと思うか、稀に幸運なショットを打てる下手なプレーヤーだと思うか、どちらの見方もできる。
  • 自分の能力のあら探しを始めるときは消極性の始まり。
  • 怖れを消し去ろうとするよりも、怖れを乗り越えていくことを学ぶ。これこそが真の「大胆不敵」。
  • 思慮深い考えと直感的な反応。十分に考えた決定というものは、勝つためのテニスに必須。ゲームプランやゲーム中に使う戦略の立て方など。ラリー中は直感の心に委ねる。ゾーンに入ってプレーすることは、考える心を戦略に使い、直感の心に動きの中での決断を委ねることを意味する。
  • 大脳前頭葉のイメージは大切で、運動で頭が良くなる基本。
  • 考える心を使ったショットコントロールをあきらめ、自分が意図したショットのイメージに反応する直感脳を働かせる。
  • コップに入っている泥水はかき混ぜるのをやめれば、泥と水が分かれる。思考もそれと同じで、成り行きに任せておくとあなたの心はやがて落ち着き澄んでくる。
  • 非常にリラックスした状態で体幹のブレがなく、バランスが良いことがベストのインパクトを生む。
  • 緊張と深呼吸は両立しない。
  • 「今日の試合を今日プレーする」こと。過去にひきづられたり、将来のことを予想したりし始めたら「現在のこの場所に戻ろうぜ!」とつぶやく。
  • 自分がいう不平のどれも、今日という日のひとかけらも変えられない。不平を言うエネルギーを浪費するより、練習やレッスンで改良できることをノートに書き留め、それらを最初の機会にすぐに試してみること。
  • 自分ができないことについて、自分に対して申し訳ない気持ちを持つかわりに、自分の持てる能力の全てを引き出すことに意識を向けること。
  • 「もし、あなたが状況をなんとか出来るならば、心配はご無用。もし、あなたが状況に何もできないならば、心配する点はまったくない」
  • あなたの意図する結果を生み出すプロセスを信じるのだ、そうすることで良い結果はより自然に現れてくるものだ。
  • 自分が酷いプレーをしても、最高の友人をもてなすように、あなた自身をポジティブな激励の言葉でもてなす。アンフォースドエラーをして、受ける罰はポイントを失うだけで十分。
  • 自分のことをネガティヴな言葉で呼ぶことは、自分に対して出来る最低のこと。冗談で言ったとしても自分自身に影響を与えるもの。無意識のうちにそういったネガティヴや品性や能力の不足などを信じ始め、自信を埋没させてしまう。
  • 「べきだ」ではなく「出来る」。「出来る」は起こったこととこれから起こることについて自分の意図を否定しなくなる。そしてネガティヴな結果よりポジティブな可能性に焦点を合わせ始める。
  • 心の状態と自分の体が感じることの間には相関関係がある。同様に体も心にインパクトを与える。
  • 強い相手に対しても、「自分に出来ること」に集中すること。どれぐらいの頻度でそのプレーやショットが出来るかを試す努力をする。
  • 打つコースやプレーで迷いが出るのは、考える心と直感的な心が絡んでいる。考える心が直感的な心を邪魔する。この混乱は自分が動作を開始するまでに決定を下していない場合に起こる。心の準備をし、自分のプランに運命を託す。
  • 注意を逸らすものに対して、あらかじめ心の準備をしておく。「いつかはまたプレーが始まるさ」と捉える。ダブルスでパートナーの調子が悪い時は、パートナーのプレーを好転させるのを自分が手伝えるかどうかを聞く。もしそうならパートナーと話す。もし無理ならパートナーの現状のレベルを受け入れて、自分のプレーに集中する。
  • プレッシャーによる心身にもたらす反応に対しては、何度か深呼吸する、自分のゲームプランに戻る、自分のルーティーンに集中する、そしてボールコントロールを本能の心に委ねる。つまりプレッシャーを楽しむ。
  • 「試合はまだ終わってない、完全に終わるまでは」。
  • 相手が良いショットを打ったからポイントを取られたのか、自分の準備が悪かったからポイントを取られたのか。
  • 相手が良いショットを打ったからポイントを取られたのか、自分がショットセレクションや打つコースを間違えたからポイントを取られたのか。
  • 明らかにそこに存在し、聞く耳を持ち、新しい概念を受け入れ、常に自分のゲームにそれらを取り入れる準備をしていると、コーチングは楽しいもの。コーチを最高に幸せにしてくれることは、私たちコーチがテニスで努力していることが、人生を象徴していることに生徒が気付いてくれること。
  • 動作をゆっくりにすることで、今まで気づかなかったような自分の動きの繊細さに気づくようになる。そして、自分の動きがとても上品で、すべての動作を非常に優雅に行っていることを発見できる。気づきの特性は様々な動作の中の「芸術」に気づける、触れられるということ。
  • 「電球を替えるのに何人の心理学者が必要ですか?」「一人。だが電球が変えて欲しいと思わなければならない」
  • 「目標が小さければ失敗も少ない」。サーブの目標が「サービスボックス内に入れること」より、「サービスボックスのこの位置」のほうがいい。目的に見合った目標を設定する理由は、より正確なイメージを感性に与えることによって、あなたの身体にショットのイメージを指示し、より優れた動作を引き出すことにある。曖昧な目標は、曖昧なラケットスイングやショットを生む。
  • すべてのレベルのプレーヤーは「強い確信を持って、常に決まった標的に打ち込む」ということと、「どんな優れたボールマシンでさえ、すべてのボールをコート上の同じ点に正確に打つことはできない」という二つの逆説的な態度を持つこと。十分な広さを持った目標設定をすること。
  • モノマネは非常に力強い学習方法。子供達はその運動能力をほぼ完全に、両親の刷り込みイメージから学んでいる。
  • コーディネーション能力と筋力の発達した子供は、幼少期にスターになることがよくある。彼らは最小限のスキルによって未発達な相手を圧倒することができる。これらのジュニアプレーヤーは早い段階での成功のためにかえってドロップアウトしやすい。なぜなら彼らはゲーム全体を綿密に考えることができないからだ。やがて彼らの対峙する相手は、基礎的なスキルと早期の身体的トレーニングで同等の実力になる。そして洗練されたテクニックをハードワークでこなし、晩成型のプレーヤーとして一段優れたプレーヤーとなる。
  • 野心は力強い動機だが切迫した野心というものは多くの場合、視野狭搾になってしまうもの。焦って改善しようとすると、自分の体が発信しているメッセージに気づかない。
  • 限定した考え方は、私たちを限定する。たった一つの方法だけに執着すると、もっと良くできたはずの可能性を減らしてしまう。「多くの人がそうだから」という理由で行うことは、斬新なものへと考える余地がない。
  • ダブルスはメンタル面で、粘り強さと戦略を育てるのに非常にお大きな助けになる。
  • ジュニアテニスにとって、両親とコーチからの前向きで健康的な手引きの重要性は、言いすぎても言いすぎることはない。
  • アスリートにとってもっとも重要で最も困難なレッスンは、最高レベルの能力を発揮するためには、自己中心主義と怖れを超越しなければならないこと。
  • 二人の人間がダンスを踊る際調和が必要だが、ダブルスも同様。コミュニケーションや戦略、協力的な動きとチームワークのセンスなどが、より素晴らしいダブルスゲームをするために必要。また、対戦相手だけでなく自分のパートナーに対しても、臨機応変に反応することがもとめられる。
  • ダブルスでは忍耐力、修練、包容力(自己中心でないこと)、それに「気づき」の精神などが最も必要とされる資質。
  • ダブルスの場合、パートナー同士が互いの強さと弱点を認識し認め合うことによって、最高の戦略を決定する鍵となる。個々のエゴはチームとしての成功を妨げる。
  • ボールがインプレーのとき、プレーヤーが毎回のショットを完璧に打ち返したいのなら「本能の心」にプレーを委ねるべき。ポイントとポイントの間には戦略や計算、積極的な強化のための時間は取るが、インプレー中はやらない。
  • 試合の始まるまえに「考える心」を使い、試合全体の戦略を考える。しかし一度ゲームが始まってしまえば(自分の)コントロールを「本能」に引き渡すこと。それによってラリーの最中に最も流動的で自然な反応をすることが可能になる。「頭で考え、心でプレーする」。
  • ゾーンとは「広い視野と鋭い視点、深い安らぎと確信の感覚、そして完全に怖れから解放された自由な感覚を持った状態」のこと。

パデル テニス コーチ スクール

前回の続きです。

テニスにはかなり大きく分けてグラウンドストローク、ボレー、サーブ(スマッシュ)と三つの技術群がある。(もっと大きく分けると二つになる)

グラウンドストロークとサーブは完璧な運動連鎖(と高い再現性)が求められ、ボレーは優れたハンドアイコーディネーションと巧みなラケットワーク、そして予測(から来るポジショニング)などが求められる。

一方パデルの場合、完璧な運動連鎖(と高い再現性)が求められるのはスマッシュやビボラといった比較的時間のあるシチュエーションで打つショットぐらいで、求められるのはテニスのボレーの要素がほとんどである。(細かく言えばグレイディング〔筋力発揮調整力〕や予測がテニス以上に必要だが、話を簡素化したいので省きます)

何が言いたいかというと、テニスからパデルに移行してきた人の多くが言う、「負担が少ない」「簡単」というのは、テニスを高い次元でプレーするために必須である「運動連鎖」を用いた技術をパデルでは打つ頻度があまりないというのと、最悪打てなくてもプレー出来るというところから来ているように思う。

もちろん高いレベルでパデルをプレーしようと思えば必須となってくるが、それでも重力に逆らって力を発揮しなければいけない場面や、自分の発揮した力を(敢えて)ロスさせるような技術が必要な場面というのは、テニスに比べればパデルは圧倒的に少ない。(但し、パデルでもレベルが上がるとアンダースピンをかける場面が増えるため、テニスとは逆の回転になるが必要にはなってくる)

平たく言い換えれば、俗に「オバサン(おじさん)テニス」と呼ばれる、「手打ち」でプレーしてもパデルはかなりのところまで行けるということだ。

だがテニスにおいて「手打ち」で上まで行くことはまず無理だ。

戦略や戦術を駆使して戦えないこともないが、運動連鎖を伴う再現性の高い技術を持っている選手にはかなわない。

戦術を駆使してプレーする手打ちプレーヤーが1ポイントを取る苦労と、身体全体を使って打つことの出来るプレーヤーとの苦労は雲泥の差で、おそらく後者は何も考えずに打っていても前者のタイプのプレーヤーには勝てる。

そして後者のようなプレーヤーが頭脳的なプレーも出来てしまうと、結果は火を見るより明らかである。

ここにテニスの難しさ奥深さがあり、と同時にウィークエンドプレーヤーやある程度の年齢に達したプレーヤーが後者のような選手と相対したとき、「ボールが違う、かなわない」と感じてしまうのだ。

一方パデルではそういうことを感じる場面が少ない。

もちろんremate por 3などは完璧な運動連鎖がないと難しい技術なので、それが打てないと勝てないというレベル(打てなくてもしばらくは十分勝てる)にいればまた話は別だが、一般レベルで言えばそういった技術を打つ場面は一試合に何度かある程度で、「手打ち」の技術が素晴らしければそれで十分勝てる可能性がある。

かなりおおざっぱにまとめると、テニスで強くなるためには「運動連鎖」と「コーディネーション能力」の二つが必須で、どちらかというと運動連鎖のほうが必要。

パデルは「コーディネーション能力」が必須で、運動連鎖はあればなおいい。

日本では(おそらくスペインでも)多くの一般テニスプレーヤーにとってこの運動連鎖をマスターすることがとても難しく、多くの手打ちテニスプレーヤーが生まれる。

ましてや大人になってからテニスを始め、この運動連鎖をマスターしてテニスをするというのはかなりの至難の技。

そこに、比較的自分の意思通りに、しかも素早く動かすことの出来る「手」でプレー出来るパデルがあるというのは、そういったテニスプレーヤーにとっては素晴らしいことだと思う。

なのでこれはごく個人的な意見だが、現在「手打ち」でプレーしているテニスプレーヤーはかなりパデルに向いていると思っている。

こういった方々にアプローチする方法、もしくはこういった方々がパデルに目を向けてもらう機会を今後考えていきたい。

私の頭の中には、

「こんな楽しいスポーツがあるなんて知らなかった〜もっと早く知りたかった〜!」

という声を聴くイメージまで出来上がっています。
 

パデル スクール コーチ 試合 padel

スペインで実際にパデルをしている人に、

「なんでパデルを始めたの?」
「パデルの前は何をしてたの?」

と聞くと、これまで日本でもパデルの謳い文句として言われている、

「テニスより身体的負担が少ない」
「比較的簡単にプレーが楽しめる」

という声はこちらでも頻繁に聞く。

やはりこれらの要素は間違ってはいないのだなと感じた。

ただ声として多いのはどちらかというと「身体的負担が少ない」のほうで、「比較的簡単にプレーが楽しめる」というのもあったが、これはテニスをある程度やってきていた人が前提となるのではと感じた。

向こうでは選手クラスで練習することがほとんどであったため、周りはテニス上がりのパデルプレーヤーが多かったせいもあるかもしれない。

なぜならテニスはもちろん、スポーツ自体の経験がほとんどないという人がパデルを始め、壁も上手に使いこなし、Remate por 3でポイントをフィニッシュさせることが出来るレベルになろうと思ったら、テニス同様「パデルはキツい、難しい」と感じるはずだからだ。

その点テニス上がりのパデルプレーヤーであれば、パデルでしか使わない技術や戦術以外はテニスのものがそのまま使えるため、前者の人に比べると「パデルは簡単」となるのである。

ただパデル初心者でも、「壁を使った難しいプレーが出来るようにはならなくても、ラリーとかゲームが楽しめればいい」というような、レクリエーションスポーツとして捉えている人には文字通りパデルは簡単にゲームが楽しめるスポーツである。

このパデルに対する「簡単」「キツくない」というイメージは、人それぞれが持つ「前提」や、「目標(目的)」をどこに置くかで全く違ったものになるのではないかとふと思った。

現在の日本パデル界はテニスからの移行組がとても多い。

それ自体は悪いことでもなんでもないが、私も含めパデルを観るフィルターが「テニスと対比して」のものになってしまっている人がほとんどなため、パデルをフラットな視点で見ることが出来ていないことに最近気づいた。

これは視点を逆にしてみればわかりやすい。

テニス経験のないパデル上級者がテニスに移行しようとしたら、おそらく「テニスって意外と簡単」と思うであろうからだ。

身体的にも、「横には動くけどあまり前後には動かないから楽だな」と思うかもしれない。

だがこの人がグラウンドストロークやサーブで、トップスピンやフラットやスライスといった回転の掛かったショットを使いこなし、またボレーやスマッシュなどのネットプレーも自身のゲームの中に取り入れてプレーしようと思ったら、「テニスって難しい」となるはず。

またパデルもテニスもしたことがない人が、「すごい回転を掛けたりすごいサーブが打てなくてもいいから、ゆっくりポーンポーンとラリーが楽しめればいい」と思ってテニスを始めた場合、おそらくこの人にとっては「テニスって簡単で楽しい」という印象になるのではないだろうか。

自分の中の「前提」に気づくことで、普段自分はどんなフィルターを通して目の前の事象や物事を見ているか、また現在自分が行なっていることに対する「目標(や目的」をどこに置いているかで、物事の見え方が変わる。

危うく灯台下暗しになるとこでした。

ありがとう、パデル。

最後に一つだけ言えることは、難しかろうが簡単だろうが、パデルは面白いスポーツだということ。
 
これもパデル寄りのフィルターがかかってるのかな。。
 

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