
「パデルって楽しいですよね」
パデルを始めて以来、本当によく聞かれる。
パデルは楽しい、本当に楽しい。
この楽しさが多くの人に伝わってくれているのを目の当たりにすると、本当に嬉しい。
でもふと考えることがある。
今目の前の人が言っている「楽しい」と、私の感じている「楽しい」は一緒なのだろうか。
これはテニスのときから時折感じていたことで、安易に「そうですね」と答えていいのかどうか躊躇するような時期もあった。
今は、私がパデルと出会った頃に感じていた「楽しさ」を、今この目の前の方も感じているのだろうと想像し、そうですね、楽しいですよねと答えている。
さて、タイトルにあるワインだが私はまったく飲まない。
美味しさがわからないので飲みたいとも思わない。
こう言うと、「それは美味しいワインを飲んでないからだよ」と必ず言われるが、私に言わせればミニッツメイドのグレープ味のほうがよっぽどブドウを感じれて美味しい。
ワイン通の人を見ていると、産地や年代、一緒に食べる食事等にこだわりがあり、側からその光景を眺めていて私にはとても「楽しそう」に映る。
逆にその人たちからすると、私はワインを全然「楽しんでいない」ように映っているのだろう。
ワイン通は赤・白、ぶどうの種類、産地、年代などによって味の違いなどを楽しむという。
私はそういったものを十把一からげにして「ワイン」としか認識していない。

パデルはプレーするうえで技術的な容易さがアドバンテージとなり、老若男女多くの人が楽しめるスポーツである。
テニス経験者ならすぐに、そうでない人でもある程度プレーすれば楽しめる。
(壁を利用せず)相手コートに返すだけなら人によってはその日のうちに、しかもそれだけでも十分楽しい。
でも壁を利用できるようになるともっと楽しい。
バンデッハなどのパデル特有のショットも出来るようになるともっともっと楽しい。
そしてパデルの戦略や戦術なども理解し、実践出来るようになると更に楽しさが増す。
テニスの時代からそうでしたが、私はテニスやパデル含めスポーツというのは、「出来ること・知っていることが増えれば増えるほど楽しみが増え(そして勝て)る」と感じています。
「でもそんないろんなこと出来なくても知らなくてもパデルは楽しい」という意見も分かりますし、実際そういった一面もあると思います。
私のワインと同様、こういった人たちのパデルもパデルであり、こういった人たちの「楽しい」も本当に楽しいのだと思う。
が、やはりそれはパデル(スポーツ)の一面しか見ていないように思います。
山口百恵の言うようにさよならにも向こう側があるのですから、パデルやテニスにも「向こう側」があり、そこには深みのある「楽しさ」が待っています。
ただ、そこに到達するには何度も何度も反復して各技術を習得、そしてそのスポーツを理解するという過程が欠かせません。
そんなの面倒くさいし、そもそもパデルにそんなことまで求めてないよ、という方も多いと思います。
私もワイン通の方に、「葡萄の向こう側を知ったほうがいいよ」と言われたら大きなお世話だと感じますから。
だから強要は出来ませんが、 簡単に楽しめるパデルにも 奥深さがあると教えてくれたのはあなたでした といつか言われてみたい。
私もいつかワインを嗜む日が来るのではないかと思っていますが、こうしてファンタグレープを飲みながら記事を書いているうちはまだまだ遠いなと思います。
パデルを始めて以来、本当によく聞かれる。
パデルは楽しい、本当に楽しい。
この楽しさが多くの人に伝わってくれているのを目の当たりにすると、本当に嬉しい。
でもふと考えることがある。
今目の前の人が言っている「楽しい」と、私の感じている「楽しい」は一緒なのだろうか。
これはテニスのときから時折感じていたことで、安易に「そうですね」と答えていいのかどうか躊躇するような時期もあった。
今は、私がパデルと出会った頃に感じていた「楽しさ」を、今この目の前の方も感じているのだろうと想像し、そうですね、楽しいですよねと答えている。
さて、タイトルにあるワインだが私はまったく飲まない。
美味しさがわからないので飲みたいとも思わない。
こう言うと、「それは美味しいワインを飲んでないからだよ」と必ず言われるが、私に言わせればミニッツメイドのグレープ味のほうがよっぽどブドウを感じれて美味しい。
ワイン通の人を見ていると、産地や年代、一緒に食べる食事等にこだわりがあり、側からその光景を眺めていて私にはとても「楽しそう」に映る。
逆にその人たちからすると、私はワインを全然「楽しんでいない」ように映っているのだろう。
ワイン通は赤・白、ぶどうの種類、産地、年代などによって味の違いなどを楽しむという。
私はそういったものを十把一からげにして「ワイン」としか認識していない。

なぜこんな話をしたかというと、パデルやテニスでもこれと同様のことが起こるからだ。
パデルはプレーするうえで技術的な容易さがアドバンテージとなり、老若男女多くの人が楽しめるスポーツである。
テニス経験者ならすぐに、そうでない人でもある程度プレーすれば楽しめる。
(壁を利用せず)相手コートに返すだけなら人によってはその日のうちに、しかもそれだけでも十分楽しい。
でも壁を利用できるようになるともっと楽しい。
バンデッハなどのパデル特有のショットも出来るようになるともっともっと楽しい。
そしてパデルの戦略や戦術なども理解し、実践出来るようになると更に楽しさが増す。
テニスの時代からそうでしたが、私はテニスやパデル含めスポーツというのは、「出来ること・知っていることが増えれば増えるほど楽しみが増え(そして勝て)る」と感じています。
「でもそんないろんなこと出来なくても知らなくてもパデルは楽しい」という意見も分かりますし、実際そういった一面もあると思います。
私のワインと同様、こういった人たちのパデルもパデルであり、こういった人たちの「楽しい」も本当に楽しいのだと思う。
が、やはりそれはパデル(スポーツ)の一面しか見ていないように思います。
山口百恵の言うようにさよならにも向こう側があるのですから、パデルやテニスにも「向こう側」があり、そこには深みのある「楽しさ」が待っています。
ただ、そこに到達するには何度も何度も反復して各技術を習得、そしてそのスポーツを理解するという過程が欠かせません。
そんなの面倒くさいし、そもそもパデルにそんなことまで求めてないよ、という方も多いと思います。
私もワイン通の方に、「葡萄の向こう側を知ったほうがいいよ」と言われたら大きなお世話だと感じますから。
だから強要は出来ませんが、 簡単に楽しめるパデルにも 奥深さがあると教えてくれたのはあなたでした といつか言われてみたい。
私もいつかワインを嗜む日が来るのではないかと思っていますが、こうしてファンタグレープを飲みながら記事を書いているうちはまだまだ遠いなと思います。