パデル テニス スカッシュ スポル
練習には大きく分けて「目的のある練習」と「限界的練習」の二つがある。

ここでいう目的のある練習とは、「本来その人が持っている能力を最大限引き出そうとする」ことを指していて、限界的練習とは、「常に現在の能力をわずかに上回る課題に挑戦し続ける」練習のことを指している。

よく「人間は持っている才能の3%しか使っていない。5%使えたら天才になれる」などと言われる。

だから持っている能力を最大限引き出すという考え方になる。

これも間違いではないと思うが、究極的には100%引き出してしまったらそこで成長は止まる。

一方限界的練習は、常に現在の能力をわずかに上回ることを目的にしているので、理論的には終わりがない。


今読んでいる本の中に、

現在では能力の規定量などというものは存在しないことがわかっている。
脳には適応性がある。
潜在能力という水瓶は、我々が人生を通じて何をするかによって形が変わり、いくらでも容量を増やしていくことが出来る。
学習は自らの潜在能力を引き出す手段ではなく、むしろ新たに作り出す手段。

とある。

これが正しいとなると(と思いたい)、常に現在の能力をわずかに上回ろうと努力し続ければ、どこまでも成長出来、考えるだけでワクワクする。

が一方でこうも書いてある。

限界的練習は学習者のコンフォートゾーンの外側で、常に現在の能力をわずかに上回る課題に挑戦し続けることを求める。
このため限界に近い努力が求められ、一般的に楽しくはない。


コンフォートゾーンとは、その人にとって「居心地のいい領域」のこと。
パデル テニス スカッシュ スポル
日本に帰ってきて約二週間が経った。

何度か練習をしたが、日本での練習を「楽しい」と感じている自分にふと気づき、驚いた。

意思の疎通が図れるなどの良い意味での楽しさももちろんあるが、ここでいう楽しいはそういう意味ではない。

スペインでも時折楽しいと感じる瞬間はあったが、基本的には楽しくなく、コートに行きたくないと感じることも何回かあった。

イチローの言葉の中に、

「楽しんでやれ」とよく言われますが、僕にはその意味がわかりません。
楽しむというのは決して笑顔で野球をやることではなくて充実感を持ってやることだと解釈してやってきました。
ここに辿りつくまでのことを「楽しんでやる」というような表現はとてもできません。

というのがありますが、全くもって同感です。

充実感や自分の成長を感じたいから、苦しいことやストレスのかかることもやろうと思える。
パデル テニス スカッシュ スポル
昔から漠然と夢見ていた「世界」という世界、テニスの頃も含め間接的に接していた「世界レベル」というものに今回パデルを通して初めて直接触れることが出来、多くのスポーツ選手がなぜ世界を目指すのか、なぜ海外を拠点に練習したいのかがよく分かりました。

自分の限界を超すのが難しく、自分が(これ以上)成長しないかもしれないという恐怖を感じるからです。

とはいうものの、そんな容易に環境は変えられない。

日本にいながら「居心地の良くない状態」をどうにかして作ろうと思います。

もしそれがムリそうだったら、江田島平八に言って男塾に入塾させてもらうか、星一徹にお願いしてWPT養成ギプス作ってもらおうと思います。