日本パデルアカデミー

「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

カテゴリ: 練習

スペイン パデル padel コーチ レッスン

「よーく考えてみて②」の続きです。

 前回、「テニスもパデルもしつこい人が勝ちやすい」と書きましたが、テニスに関しては納得出来る方も多いかと思うのですが、パデルに関しては?マークが頭に浮かぶ人が多いかもしれません。

なぜかというと、現在の日本のパデル界では攻めてる人のほうが勝っているからです。

なぜ攻めてる人のほうが勝っているのか。

それはディフェンスが上手な人がいないからです。

ディフェンスが上手じゃないということはすなわち壁を利用して返球が出来ないということ。

ディフェンスに自信があればロブを多く使い、カウンターのチャンスを伺っていればいいのですが、ディフェンスに自信がないと「相手に攻撃される前に攻撃したい」、「壁を使わずに返球したい」という発想になります。

そうなるとこれはもう単純に、より強いボールが打てることと勝敗がイコールになってきます。

この状況しか知らない人がパデルを見たり経験したりすると、「そっか、パデルは強く打ったりスマッシュたくさん打ったほうが強いのか」と勘違いするのも仕方ありません。
 
ただ、ディフェンスが上手い人がいないという日本の現状を踏まえると、試合において強く打てるシチュエーションが来たら強く打ったほうがポイントが取れることは確かである。

私自身日本ではそうしている。

ただスペインに来てからは選択が真逆に近くなる。

「強くも打てるがあえて打たない」という選択をするシチュエーションが多くなる。
 
強く打つのはリスクが高過ぎるからだ。

こっちに来て一緒にプレーして感じるのは、ジュニアにしても一般のおじさんにしても「上手い」と言われるようなレベルの人はまず間違いなくディフェンスが上手い。

日本だと「あ、これで決まった」と思うようなショットでも、こっちでは普通に返されるため次の策を考えたり、返球に備えていなければならない。

それが日本ではちょっと強く打てば決まってしまうため、自分自身に勘違いをしてしまう。

はじめの一歩でいうところの小橋建太状態である。

 「あ、俺結構打てるじゃん」と。

偉そうなことを言うようであるが、自身のバンデッハやボレーをより向上させるためにも、ディフェンスが上手な人が日本に早く現れてほしい。

というより、「守備が上手にならないと勝てない」と思うような人が早く現れてほしい。

そうすれば私自身も日本のパデルのレベルも一段階段を登れるような気がしてならない。
 
きついことを言うようだが、攻めてる選手が勝っているようではパデルのレベルは低いと言わざるを得ない。

「守れるようになりたい」、そう思う人には助力を惜しまないつもりである。
 

パデル レボテ バンデッハ レマテ ボレー

「結局は身体の反応でしょ」  

パデルに限らず人生の中でスポーツをほとんどしてこなかった人、あるいはスポーツと(真剣に)向き合ってこなかった人というのは、往々にしてこの一言で「スポーツ」というものを括ることが多々あります。

イチローの「(ボール球にも)身体が勝手に反応してしまう」という言葉もありますし、突き詰めていけばこの言葉もある意味的を得ていると言えるのですが、スポーツと真剣に向き合っている人に対してスポーツは「頑張ってなんとかなるもんじゃない」「努力したって無駄」とも取れるような発言をする人というのは、 突き詰めて突き詰めて一周回ってこのような単純化したことに戻って来たわけではなく、ごく浅い意味で言っているであろうことは容易に想像が出来ます。

少なくとも自分自身ではスポーツに真剣に向き合ってきたつもりの私としては、当然のことながらこういった発言をする人が嫌いなのと同時に、もっとスポーツの価値、スポーツをしている人の価値を高めたいと強く思わされます。

自身の身体を意のままに操ることの難しさ、パデルやテニスであればそれに加えてラケットという物体を意のままに操る難しさ。

その動きが自然と出せるようになるまでに反復練習で費やした練習時間。

その技術を使って相手や見ている人をも唸らせる戦術を、自然と繰り出すまでに昇華させた頭脳。

その練習が必要だと感じる洞察力、その練習に時間とエネルギーを注ぐと決める決断力。

出場しなければ「勝ち負け」という判断を下されずに済むのに試合に出る勇気。

こういった背景を知って人のプレーやプロの試合を見るのと、ただ見るのとでは月並みな表現ですが感動がまったく違います。







これらのラリーを見て、「すごーい」の一言で終わらせてしまうような人ではなく、思わず感動の涙を流してしまう人を一人でも増やしていきたいと思います。
 

パデル 壁 試合


仕事をする際、多くのビジネスパーソンは「効率」や「合理性」などを考慮して日々の業務に取り組んでいる人がほとんどだと思う。

自分は何もせず周りの人が動いてくれるのを待ったり、事態が好転するのをただ待っているという人もいるにはいるかもしれないが、ほとんどの人はより良くするために日々働いているはずだ。

もしかするとこの逆で、ごく一部の人だけが前を向いて働いていて、ほとんどの人が現状維持を望んでいるかもしないが。。

確かに自分は何もせずとも、自分や自分の会社が良い方向に向かうのは楽であるし、実際問題こういったことが起こることもなくはない。

うまく世の中の流れに乗ったり、世間とのニーズが合致したりすると、驚くほど簡単に業績が上がることもある。

こういったことはスポーツ(が上達するということ)にも当てはまるだろうか。

残念ながらスポーツではこういったことは起こらない。

(※短期的に見れば相手の調子が相当悪ければ自分は何の努力もせずに勝てる可能性もあるが、テニスやパデルのように年間を通してランキングを決めるようなスポーツでは結局実力通りの結果になる。また、これといった努力はしないが才能に満ち溢れている選手と戦った場合、こちらの努力量に関係なくあっさり負けるということもある。この辺はスポーツはある意味残酷である。個人的にはスポーツよりビジネスのほうが努力が報われる可能性が高いと思っている。ビジネスでも同様なのかもしれないが、スポーツでは「自分に合っているもの(競技)」を見つけることがより大事なのではないかと最近強く思っている)

スポーツ選手もビジネス同様、日々の練習に取り組む際やはり「効率」や「合理性」というのは当然考える。

というより、ビジネスパーソンに比べ「現役生活」に明らかに限りがあるスポーツ選手のほうがこういったことはより真剣に考えなければいけない。

より「無駄な努力」をしないで済むようにしなければいけない。

とはいうものの、これが行き過ぎるとどうなるか。

努力するのが怖くなるのである。

結果が出なかったときのことを考えて、自分の時間やエネルギーを練習に充てがうのを躊躇してしまう。

なので普段の生活の中で「練習」の優先順位がだいぶ低い人がほとんどだ。

ここから多くの人が抜け出せないのは、この選択をすること自体が自分を守ることにもなるからだ。

アフター5に飲みに行くことも我慢し練習、週末はよほどの予定がない限り練習という選択をしたにもかかわらず、試合では予選一回戦敗退では格好がつかないと思ってしまうからだ。

普段から飲み歩いて、練習は本当に暇な時だけ。

それで本戦入りするほうがカッコいいように思えてしまう。。


かなり前置きが長くなったが、今回は「努力と効果」について考えてみたい。

仕事もスポーツも「最小の努力で最大の効果」を上げるのが理想である。

逆に「最大の努力で最小の効果」という結果はなるべく避けたい。

人は往々にして「最小の努力で最大の効果」を上げた、と他人に思われたい。

実際は「最大の努力で最大の結果」を得たとしても、他人にはそう思われたくない。

学生時代、

「お前勉強した?」

と聞くと、

「全然やってねー。やベーよ」

とこちらを油断させたところで、いざ答案用紙が返ってくるとものすごい高得点取ってるイヤな奴、クラスに必ず1人はいましたよね。

あれの裏側には、

「全然勉強してないのに高得点取れちゃう俺」

という自分を周りに見せたいわけですね。
 
いわゆる「天才」と思われたいわけです。

「お前勉強した?」

「うん、超勉強した」

これで高得点取っても周りからは、

「そりゃそうでしょ」

と思われるだけで、これでは天才と捉えてもらえません。

これは日本人に限ってなのかどうかは分かりませんが、多くの人はなるべく自分の努力を隠そうとします。

極論ですが、「たくさんやってるから上手い人」は良しとされず、

「本当に全然やっていないのに上手い人」

と、

「本当はたくさんやっているから上手いんだけど、周りには“全然やってないのに上手い人”と思われてる人」

だけが認められるかのような風潮があります。

例えばテストで猛勉強した人が85点取った、ほとんど勉強しなかった人が80点取ったと聞くと、80点の人のほうを「すごいね」、85点の人のほうを「そんなに勉強したのに?」とか、「勉強の仕方が悪かったんじゃないの?」というような考えが頭を過ぎったりしますよね。

この風潮はスポーツでもよくあります。

というより、勉強よりスポーツのほうが努力と結果が結び付きにくいため、スポーツ界ではこういった声はよく聞きます。

「やり過ぎやり過ぎ。やりゃあいいってもんじゃないんだから」

努力してる人に対してこういった発言する人よくいます。

私も経験ありますが、これを言われると正直とても葛藤します。

心の中に様々な感情が生まれます。

「確かに」と思うこともあれば、意固地になってより練習してしまうこともありました。

でもあるときから、

「残念ながら自分は努力しなくても上手にプレー出来る天才ではないようだ。ということは練習しないでこれ以上上手くなることは不可能だ。ただ、練習したからといって今後上手くなるとは限らない。でも練習しないと上手くなれないことはこれまでの経験で分かっているのだから、結局はやるしかない」

と素直に思うことが出来、自分の努力量やその結果に対して恥ずかしさを覚えなくなりました。

そうは言っても・・と思っているあなた。

私の言葉や体験談では踏ん切りがつかないというあなた。

そんなあなたに鴨川会長の言葉を贈ります。


パデル テニス スカッシュ スペイン


パデルを「真剣にたくさん練習すること」が恥ずかしいあなた。

「小言にこだわるには人生はあまりにも短い」

ですよ。

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