日本パデルアカデミー

「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

カテゴリ: 私見

パデル テニス スカッシュ スペイン コーチ

先日、あるグループの方々のレッスンをする機会があった。

事前の情報では定期的にコートを取ってパデルをされているとのことで、どんな内容にするか考えていたところ、「ゲームとかはやってるんですけど、ちゃんとしたやり方とかは知らないのでそれを教えてもらいたい」ということで、よく見かけるテニスのミニチュア版のような形でプレーされてるのかと思いきや、ふたを開けてみたら想像以上だった。

壁を使っていないのはもちろん、ラケットワークやポジションなどもパデルのそれとは程遠い。

教わっていないのだから当然なのだが、レッスン中ある方の「私たちパデル歴1年になるけど何にも知らないままやってたんだねー」という一言を聞いたとき、身近に指導者の存在があることや、身近にパデルが学べる施設があるというのは、パデルを(正しく)普及させるという意味で重要だとこのとき再認識させられた。


さて、今回のタイトル「三足のわらじ」を履かなければいけないのは誰か。

それは指導者である。

一般愛好家は「パデルが出来る」という一足のわらじが履ければ良い。

選手は「パデルが出来る」「パデルを知っている」という二足のわらじを履けることが必要。

指導者は「パデルが出来る」「パデルを知っている」「パデルを伝えることが出来る」という三足のわらじを履くことが求められる。

出来るけど知らない
知ってるけど出来ない
知ってるし伝えることも出来るけど、自分では出来ない

こういう人はスポーツの世界でよくいる。

最後の典型はプロ野球観てヤジを言ってるオジサン 笑

「じゃあお前がやってみろ」というあれです。

ゴルフの石川遼選手のように、その競技経験がない親がコーチをして選手が育つ場合もありますが、やはりあれは「親子」という特殊なケースで、一般的な「コーチと選手(生徒)」の場合はある程度指導者はその競技が出来なければならない。

オリンピックなど最高峰のレベルまで行けば別ですが、その競技の初期の段階で指導者自身が出来ないことをやれと言われても、指導を受ける側としてはそれをなかなか素直には取り組めない。

逆に指導者自身が上手に出来ても、伝え方が「スーっと来たのをバーンって打つ感じ」では多くの人は理解出来ない。

「パデルが上手に出来る」だけでも十分努力を要するし、「パデルを知る」にはそれなりの研究が必要で、「パデルを伝える」には伝えるための勉強が必要です。

今回のレッスンを通して、

良い指導者を養成する

その指導者が良い指導を行なう

その指導を受けた選手や愛好家の方が草の根レベルで他の人に伝える

という正の連鎖をちゃんと起こす必要があると感じました。

こればかりは特効薬的なものはないので根本から地道にやっていくしかない。

でないとパデルの魅力や楽しさが多くの人に伝わらず、多くの方が「ぎりぎりルールは知っている」というだけの状態でプレーすることになり兼ねず、それでは「またプレーしたい」と思う人がなかなか増えない。

「プレー人口」「施設」「指導者」というのは同時進行で増加していく必要があり、その歯車がうまく噛み合ったとき、スターを取ったときのマリオぐらいの疾走感でパデルが世の中を駆け抜けていくことと思います。
 

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スポーツは大きく分けて瞬発力系競技、筋持久力系競技、神経系競技と大別される。

瞬発力系に代表される競技といえば重量挙げや短距離走、筋持久力系に代表される競技といえば長距離走やトライアスロン、神経系に代表される競技といえば射撃やアーチェリーなどがある。

テニスやサッカーなどの球技は瞬発的に速く動く要素も多いが、試合時間が1~2時間を超える場合も多いため持久系の要素もある。

パデルはどうか。

その前に、先ほどは書かなかったがテニスには繊細なラケットワークや身のこなしが必要とされる技術も多数あるため、神経系の要素もある。

パデルに話を戻す。

パデルもテニスと同様この三つの要素があるが、テニスに比べると筋持久力系と神経系が占めるウェイトがより多いように思う。

この二つの中でも神経系はより重要だと思っている。

神経系を言い換えるなら「感覚」といったところだろうか。

テニスでもパデルでも「身体の使い方が上手い」「タッチが柔らかい」と評される選手がいる。

例えばこんな選手たち。



 



 





こういったプレーをするには、様々テクニックを覚える過程で「遊び」の要素を取り入れながら練習すること、こういったイマジネーションをかき立てられるようなプレーを「観る」こと、更に言えばSAQトレーニング、コーディネーショントレーニング、ハンドアイコーディネーショントレーニングなどが必要である。

パデルはテニスに比べるとパワー(筋力×スピード)が求められる場面が少ない一方で、イレギュラーや速いボールへの対応がテニスより多くなる。

となると、身体(や手先やラケット)を自在に操ることが出来たり、反射能力やハンドアイコーディネーション能力が高いほうが有利で、それらが可能となるような練習やトレーニングにより多くの時間を割いたほうがコート上でのパフォーマンスアップにつながるのではないかと思っている。

最初に挙げた神経系の競技で活躍している選手の中には、比較的年齢が上の選手やふくよかな体格の選手が少なくないが、パデルでもそういった選手が世界レベルで多数活躍している。

もちろんこれ以外の要素も多々あるが、こういった事実もパデルがパワー以外の要素が占めるウェイトが高い競技である証拠なのではないだろうか。

もちろん基礎体力を向上させてからの話にはなるが、こういった違いも考慮して練習やトレーニングに取り組んでみてはいかがだろうか。

パデル テニス スカッシュ 工藤公康 東京

本屋さんで目が合い購入。

本屋さんに行ってなぜか惹かれる本のタイトルで、自分が今何に疑問を感じているか、何を欲しているか、何を知りたいと思っているかが分かったりしますよね。

この本の著者の工藤監督は、47歳まで現役を続けた大投手で、トレーニングにテニスを取り入れたり、巨大タイヤを使ったメニューを取り入れたりと、様々な手法を取り入れて活躍していた選手です。

over40ともなってくると、プラスαにしていくのはもちろん、「プラマイゼロ」の状態で居続けるのもそう簡単ではなくなってきます。

職業柄なのか周りの同年代の方達よりは身体の衰えは感じませんが、それでも10代、20代の頃に比べると疲労が抜けにくかったり、細かいケガが増えてきました。

筋肉をつけることで折れている骨が動かないようにするジャッキー・チェンや、身体に撃たれた銃弾を自らの手で取り出すランボーのような男前なことは出来ませんが、可能な限り身体を痛めてはいたわりを繰り返しながらアスリート寿命を伸ばしたいと思っています。

World Padel Tourではover40でも活躍している選手は珍しくありませんが、中でも個人的にはJuan Martin Diaz選手が好きです。


誕生年も誕生月も一緒、そしてサウスポー。

親近感が湧かないはずがありません。

唯一親近感が湧かないのはプレースタイル。

あれが出来るのは彼だけのような気がします。


他にover40で好きな選手といえばManu Ginobili。


こんなファンタステックなプレーをするディアス選手もジノビリ選手も左利きでアルゼンチン人。

ファンタスティックなプレーをするアルゼンチン人のテニス選手といえばサバティーニ。

サバティーニもover40。


サバティーニも片手バックハンドで、、、もういいですね笑

にしてもサバティーニのバックハンドスライス好きだったな~。





工藤公康

40歳までの身体は親からの贈り物。それ以降は自分の責任。

40歳を過ぎても第一線で活躍している選手に共通して言えるのは、個性的でありながら、野球に対して謙虚なこと。野球を続けるためなら、自分の習慣ややり方を変えることをいとわない人たち。

グラウンドで愚痴を言いながらプレーしている選手はいません。大事なのは、ロッカーや、ご飯を食べに行ったときなどにどんな話をしているか。どんな態度でいるか。そこに野球に対する姿勢、勝つことに対する意識が表れる。そこが重要。

(プレッシャーがかかったときに)最終的には開き直れる人間が強い。
それには自信が必要。「これでダメなら仕方ない」と思えるかどうか。
開き直るには「このグラウンドにいる誰よりも俺は練習した」という自信が必要で、練習量に裏打ちされた自信がなければ、開き直ることはできない。

良いパフォーマンスを発揮するには「習慣」と「環境」が大事。

不安があるから、あれもやらなきゃいけない、これもやらなきゃいけない、他に何かやっておくべきことはないだろうかと、しっかり準備する。

一軍に行ける選手と二軍から上がれない選手の違いは、「考える」ことが出来るかどうか。
考えるとは、あてがわれた練習をこなすだけでなく、自分の課題を意識し、それを克服するためにはどういうピッチング練習がいいのかを自分で考える。ウェイトトレーニングも自分のコンディションや筋肉の状態を考えながら、ここをもう少し鍛えたい、この部分を強化したいという明確な意識を持たなければ意味がありません。

もともとその選手が持っている力を伸ばすことこそが育成の一番大事な仕事。

体の使い方や力の入れ具合、スピードを出す筋肉の配分などは、人によって十人十色であり、その感覚は本人にしかわからない。

自分の武器は何かを知るーそれが成長の原点。どこに自分の強み、個性があるかを知っている人は強い。

 最初から理解が必要なわけではない。とにかく基本をやってみること。基本をやり続けること。基本をやりつくして身につけられたものの先に、一流のプレーがある。

結果を出している選手は、結果が途絶えた瞬間に評価が急落することを知っているから、謙虚な態度になるし、もっと成長しよう、もっと自分を磨こうと必死になる。

弱い自分と向き合おうとせず、悪い結果はすぐに忘れて、良い結果だけを記憶に残そうとする選手がいる。こういった選手はポジティブの解釈を間違えているのであり、そういうタイプの選手は多くの場合、同じ失敗を繰り返す。

同じ仕事をしていながら差が出るのは、日頃から考えてやっているか、それとも何も考えずに、言われたからやっているかの違いではないか。

投手は球威に憧れる。しかし誰しもがそれを持っているわけではない。自分はどういう投手なのか。どうしたらこの世界で生きていけるのか。自分を持つ。
武田投手や石川投手は、一球一球自分のフォームに緩急をつけ、同じストレートでもバッターのタイミングを微妙にずらして投げている。

自分の納得するボールを何球でも投げ続けたい。だから同じボールを投げるために同じ動きをする。

相手を観察する。プロでも気づかないうちに考えていることが些細な仕草になって現れることがあるから。
相手の性格や特徴、勝負強さなども細かく調べる。

集中力とは、自分が無理やり奮い立たせて120%に「上げる」のではなく、いつの間にか120%に「上がる」という感覚。

練習でも意識していないことが試合で出来るはずがない。だから大切な場面で集中して最大限の力を発揮出来ない。

「いざとなったら本気を出すよ」とたかをくくっていると、いざというときに力を発揮出来なくなってしまう。

なぜ打たれたのか。結果論ではなく、何が原因だったのかをきちんと理解する。

自分の武器を作り上げたベースは「思考」。
無理だと諦めるのではなく、「一年後には必ずこういう自分になる。そのためにはこれだけの努力をして、必ず自分の武器を手にするんだ」という思考を持つ。
武器を持つ思考を持つことが武器を作る出発点。そしてその思考自体が自分の強い武器になる。

最大の目標を達成するためにどうすればいいのかを真剣に考えれば、自分が何をすべきかが見えてくる。
最大の目標が定まれば、それに応じて「目標を達成するための目標」が定まる。

「新しい球種をものにするっていうのは、単に投げられるということじゃない。試合中、ツーアウト満塁、フルカウントの場面で投げられる球になって初めて球種が増えたことになる」と東尾修投手から言われた。このとき「3年かかるな」と思った。

目標は達成出来ないこともある。だが本気で立てた目標に本気で取り組んだ結果なら、最大級の悔しさを手に出来る。それは次の目標に向けての糧になる。
目標の立て方が明確かつ適切であるほど、結果に向かって本気になれる。それによって得られるのは最大級の喜び、あるいは最大級の悔しさ。いずれにしろ、自分を成長させられる貴重な財産を手にすることができる。

目標をどれだけ本気で口にしているか、それは日頃の行動に習われる。

自分なりの常識や既成概念で出せる自己の能力は60〜70%。そこに自分が知らない知識やノウハウを取り入れることで、100%近くの能力を発揮出来るようになる。

相手打者の一球一球に対する一挙手一投足に潜んでいる“意味”を探し当て、「打者としての性格」を把握することが私にとってのデータ収集。

相手が初対戦の打者の場合どうするか。そんなときはセオリー(定石)は役に立つ。

勝負の世界に生きてきたぼくにとって、データの裏付けがない勘は単に無謀なもの。

ユニフォームを着ていないときも、野球選手としての自分にプラスとなるような思考や言動を保ち続けてきました。

何事も常に野球につなげて考えるのが「習慣」になっている。

自分を成長させるには自己投資が大切だが、それを「習慣」にしてしまえば、「当然のこと」になるので、自己投資をしている感覚さえなくなる。
言い換えるなら、無意識のうちに「時間の無駄」をほぼ完全になくすことができる。
自己投資を習慣にするのはそれなりに大変。習慣になるまでは意識的にオンの状態を保たなければならず、意志の強さや思考のスタミナが必要。

自己投資の自動スイッチが入っている人は成長が止まることはない。今まで漠然としていた時間の流れが自己投資のための時間に変わる。そうなってしまえば、自然と結果はついてくる。    

常に最大限の努力をしている人は、自ずと回復の大切さを知る。努力を怠る人はいつまでも気づけない。
休日をどう過ごすべきかと理屈っぽく考えるより、休日は自分の心身の状態に素直に行動するのが正解。

「休みが欲しい」と感じている時こそ、仕事が充実しているとき。

一流の人とは、ものの考え方、やり方、思いの強さが柔軟かつ強靭な人。それに加えて謙虚さも持ち合わせている。

疑問や向上心を元に自分自身で行動する。それが出来るのは攝津投手が野球に対する強い思いを持っている証拠。

自分とは何が違うのか。その「違い」を見つける力が上原投手にはあった。
ただ聞くのではなく、まずは見て学ぶ。自分でその違いに気づける。だから自分に足りないものを見つけられる。

「自分の思う通りにやって、批判する人もいるかもしれないけど、野茂の言う通りだと言ってくれる人もいる。世の中、何をやっても半分半分。だから批判されないようにと無理に自分を曲げる必要はない。いくら自分がいいと思ったことでも批判する人はいるんだし、認めてくれる人もいる。だったら自分の好きなようにやったほうがいい」野茂英雄。

原因を知り、改善策を考えるには、体のメカニズムを自分で理解する必要がある。

本当に野球を好きになったのは、40才を過ぎてから。
誰よりも早くグラウンドに行って、ランニングやストレッチをして、試合に向けての準備をするようになった。
球場に行くこと自体が楽しみになった。今日はどんなトレーニングをしようか、マッサージはどの部位にしようか。一つ一つ考えて実行するのが楽しかった。

自分の衰えと戦い続けることで、自分の可能性を最後の一滴まで絞り出す。それによって「自分自身」をまっとうすることが出来る。

こちらの意識の裏返しが対戦相手の意識だとは限らない。

東尾投手に「スライダーを教えてください」と言うと、「なんで俺の飯の種を教えなくちゃいけないんだよ!見て盗め!」と言われた。

チームを移籍後、良い成績を残すことができなくなってしまう選手というのは、そのチームの環境に馴染もうとするあまり、チームの馴れ合いの中に入ってしまうから。孤独を感じて心細くなり、つい友達作りに励んでしまう。

本当に自分の実力を発揮し、チームを強くしようと考えるなら、友達を作るのではなく、同じ意思を持った仲間を作ったほうがいい。

目標に向かう思いが強く、大きければ周りに流されることなく、自分を信じ続けることが出来る。環境が変わっても根本的な考え方においては、自分を貫き通す。

全てにおいて体力が必要になることを毎日のように話していると、目を輝かす選手と、うんざりする選手がいる。それが一流になれるかどうかの境目。

知らないことは年齢もキャリアも関係なく、誰にでも積極的に聞くようにしていた。プライドより結果を出すことのほうが、プロにとっては何よりも大事だから。


新天地で認められるためには、自分を理解してもらおうとする前に、チームメイトの考えや思いを理解すること。

若い選手に「高校や大学で、どんな練習やトレーニングをしたときに自分の実力が伸びたか覚えてる?」と聞くようにしていた。
なぜかと言うと、「どんな練習をしたときに自分は伸びたのか。これを自分で知っていることはすごく大事。プロに入れば、まずは全員が同じ練習をするが、漠然と練習に取り組むのと、自分の特徴に応じた練習を頭に置きながらやるのとでは、効果の出方に大きな違いが出てくる。
自分の能力を伸ばすイメージと、そのための考えを持ち続けることが、自分を伸ばす力になる。

今の若い選手は「効率」という言葉をよく口にする。この場合の「効率」は、要するに「ラクをしたい」という意味。直接的ではないにしろ、そにつながっている。プロの世界で「ラク」を求めていてはやっていけるはずがない。

人は教えられない。しかし、「気づかせる」ことは出来る。
教える側としては、その選手に何が足りていないのか、それを身につけることによって、どう変われるのか。その一方で、どこが長所で、どう伸ばしていけばいいのか。本人がそれに気づけるように、その必要性を感じさせてあげることが良策です。

人から教え込まれるのではなく、孤独に考え抜いた末に自分で気づけた選手のほうがはるかに伸びる。そのほうが「自分で自分を伸ばす方法を考え続けるようになる。

自分が何をするべきか。それに気づき、自分を伸ばす方法を見つけ出した若手は目の色を変えます。

もっと自分を伸ばしたい、と思わせること。そのときに、そのための方法や選択肢を与えることが出来れば伸びていく。それが若さ。
 

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