日本パデルアカデミー

テニスとスカッシュのハイブリットスポーツ、パデル。 パデルは40年ほど前にスペインで生まれたスポーツで、欧州や南米を中心に親しまれており、本場スペインではテニス人口を上回る競技人口をもつ人気スポーツとなっています。 「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

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今日はクラウドファンディングのリターンの一つだった「庄山レンタル」を開催させていただきました。

レンタルの用途は何でもOKしたので、当初は「年末の大掃除の手伝い」というオファーだったのを、面舵いっぱいなんとか回避することが出来、無事レッスンにしてもらいました 笑

普段レッスンに来てくださっている方、久しぶりにパデルをしているところを見る方どちらもいらっしゃしましたが、関わりのある方が上達しているのを観て感じ取れるというのは、職業柄「見えない部分」での頑張りが「見える」ので、とても嬉しくなります。

そしてもう一つ嬉しいのは、皆「パデルを楽しむことに真剣」なこと。

コーチという言葉は元々は馬車から来ていて、「人を目的地まで送り届ける」といった、人を案内したり連れて行ったりするという意味で使われていたそうですが、コーチという職業を長くしていると、時々私自身のほうが「引っ張られている」と感じる瞬間に出会うことがあります。

飼い主が散歩に連れていってくれることに気づいて、首輪ちぎれるんじゃないかと思うぐらいグイグイ引っ張ってくるワンちゃんぐらい引っ張られるときがあります。

このとき、ドラクエではぐれメタル倒したときぐらい嬉しい気持ちになり、仕事をしていることを忘れます 笑

仕事をしていることを忘れるくらい、そして「仕事が楽しい」という次元に私を連れていってくれる生徒さんや選手が時々いるということです。(この時間がどれぐらい素晴らしいかは具体的な言葉では説明出来ません)

今日もそれを感じました。
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ただこれを感じるにはいくつか条件があります。

まず生徒さんや選手もですが、大前提としてコーチにも情熱があること。

そしてそのお互いの熱量が違い過ぎないこと。

そして信頼関係があること。

最初の条件なんて挙げる必要あるのかとお思いの方もいるかもしれませんが、意外とと言いますか、不思議と言いますか、残念ながらと言いますか、情熱がないコーチや生徒さんというのは一定数存在します。(ラーメン屋さんにも美味しいお店と美味しくないお店があり、美味しくないお店にも行く人がいるのと同様です)

どちらか一方に情熱がない場合、片方がどんなに熱量が多くてもこれは感じることは出来ません。

コーチだけに情熱があっても、生徒さんだけに情熱があってもはぐれメタルは現れてくれません。

そして二つ目の熱量が違い過ぎないことも大切で、ここはコーチの腕の見せ所となります。

生徒さんの熱量が熱過ぎると「熱過ぎて取り扱えない」ので、手で持てるぐらいの熱さにコントロールしつつ、でもコーチとしてはその熱量よりは少し上の熱量を持って接することが出来ると、年に何回もではないですがはぐれメタル現れてくれます。

ドラクエでははぐれメタル倒すとレベル上がりますが、コートでもこの「はぐれメタル」倒すとコーチとしてのレベルが上がります。

出現させるにはコーチ一人だけでどうこう出来るわけでもないので、絶対とは言えないものの、レベルが上がると「出すコツ」や「「出そうなパターン」というのが分かってくるので出会いやすくはなります。

年数が全然違うので簡単に比較は出来ませんが、出現する頻度はテニスのときよりパデルのほうが多いような気がしています。

これは多分にパデル愛好家の方々の人柄がそうさせているのだと思います。
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昨日、ありがたいことに誕生日をサプライズでお祝いしていただいたのですが、打ち合わせも何もしてないはずなのに隣でアサードに参加されていた方々が食い気味でハッピーバースデーを唄い出したとき、嬉し恥ずかしかったのと同時に、これはパデルでないと起こり得ないような気がしました。

平たく言えばノリがいいということなのかもしれませんが、それだけでは片づけれられない何かがあると思います。

目には見えないですが、陽のパワーが出ているような気がします。

キャプテン翼の翼くんとかドラゴンボールの悟空、キャンディキャンディのキャンディやアルプスの少女ハイジのハイジみたいな、一緒にいると良い意味で「細かいことはまあいっか」みたいな気持ちにさせてくれる人が多いように感じています。

こういった空気感というのは、間違いなく「まだパデルをしたことがない人」にも伝わっているはずで、パデルを目の前にしてモジモジしている人がいたら、「You、パデルに来ちゃいなよ」と声を掛ける人しかいないような気がしています。

諸手を挙げてパデルはベストなスポーツとは言えないかもしれませんが、パデルが持つ様々な魅力というのは、かなりベストに近いベターなスポーツだと個人的には思っています。

私一人では何も出来ませんが、パデラーみんなで力を合わせれば、スイミーのようにどでかい魚を作り上げられるような気がします。



私の中での今年のmejor partido候補が一つ追加されました。

このMaxi・Sanyo対Coki・Javiの試合、素晴らしかったです。





ここまでの候補はこのBela・Lima対Paquito・Lebronや、




このPaquito・Lebron対Chingotto・Telloでしたが、どれも甲乙つけがたくなってきました。

ほんとパデルはやるのも観るのも楽しいスポーツです。

パデル テニス スカッシュ スポル 一万時間の法則
久しぶりに感銘を受ける本に出会いました。

スポーツに限らずどの分野でもこの「才能vs努力」論争というのは尽きません。

「一万時間の法則」を読んでは努力に傾き、「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか」を読んでは努力だけではさすがに抗えない部分もあるのかと少々落ち込みもしました。

ですがこの本でかなりすっきりしました。

結論から言うと「努力がすべて」ということでした。



生まれつきの才能で超一流になった人などおらず、またトッププレーヤーに共通の遺伝的特徴なども存在しない

長期間に渡る厳しい練習をせずに並外れた能力を獲得したと断言出来るケースには一度もお目にかかったことがないと断言できる

これまで生まれてきたいわゆる「天才」たちに対して、生まれつき才能があったと結論付けるしかない、という証拠は一つもない

自ら選んだ分野で十分な練習を積み、一定の能力レベルに達した人の間では、誰がトップとなるかを決定するうえでなんらかの遺伝的能力が影響することを示すエビデンスはない

「生まれつき才能がある人」を特定する方法は、いまだ誰一人見つけていない



もちろん「ただ努力する」だけではダメで、しかし限界的練習を継続すれば「誰でも」エキスパートになれるという内容でした。

限界的練習とは簡単に言うと、「自分のコンフォートゾーンの少し外側で練習すること」で、練習時常に脳と身体に負荷をかける練習法。

映画のトップガンのように自らを半強制的に「デンジャーゾーン」に身を置くということ。(実際も映画の内容に近いトレーニング内容だったそうです)

これをし続ければ誰でも自分の分野でエキスパートになれると説いている。

その分かりやすい例として、腕立て伏せの世界記録10507回連続という数字を挙げていた。

その限界的練習のやり方や根拠が載っていて、しかもそれは特別なものではないのが素晴らしい。

誰でも出来る。

ただ一般的に人は「快」を求めて日々行動するので、自ら「不快」と感じるゾーンに自分を持っていくという部分が難しい。

リフレッシュのためにパデルしに来たのに、脳にストレスがたまる
気持ち良く汗流しに来たのに、筋肉痛が起そうなぐらい身体的にきつい

これが嫌だから自分の心地良いコンフォートゾーンの中でプレーする。

気が置けない仲間とプレーし、疲れたら休む。

残念ながらこれでは成長は見込めないのだ。

もちろんすべての人が上を目指さなければいけないというわけではないが、著者は「たとえ自らの分野の最先端に到達出来なくても、自分の人生を主体的に選び、能力を高めていくという挑戦を楽しむことは誰にでも出来る」と言っています。

はないちもんめの歌詞にも出てくるじゃないですか、「挑戦しよう、そうしよう」って。


冗談はさておき、文中の、

「限界的練習は本質的に孤独な営み。上達出来るかは自分一人でどんな練習をするかにかかっている」

という言葉に救われたのと同時に、改めて身が引き締まる思いがしました。


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