日本パデルアカデミー

テニスとスカッシュのハイブリットスポーツ、パデル。 パデルは40年ほど前にスペインで生まれたスポーツで、欧州や南米を中心に親しまれており、本場スペインではテニス人口を上回る競技人口をもつ人気スポーツとなっています。 「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

タグ:パデル日本代表

パデル サッカー ライフキネティック
ライフキネティックという考え方に興味があり、それについて記載がある本ということで手に入れてみたのですが、数ページしか載っていませんでした。。

脳を活性化する「ライフキネティック」の凄み

コーディネーショントレーニングとかなり似ていますが、スポーツに特化せず、脳内のネットワークを改善し、また認知・判断機能の向上を目指すということで、老若男女問わず出来るメソッドのようです。


さて、この本の著者は、


子供のときは楽しさが最も大切
子供のときは自信がとても大切
サッカーを行う上で兼ね備えていなければならないものをすべて持っている選手を育てる
子供の頃から練習の中で多くのミスをさせる
自分たちに足りない部分を考えると同時に、もっと自分たちの長所を考える必要がある


と書いていました。

まさしくその通り!

と言いたいところですが、親御さんの中にはまだまだ勝利至上主義な方はいますし、幼少期から結果や大人顔負けのプレーを求める、悪い意味での拙速主義な親御さんも依然として一定数います。

指導の現場ではこの「理想と現実」の狭間でかなり苦労しています。


ちょっと思い出してみてください。

「 何も足さない 何も引かない」

「山崎」は昔こう言っていましたよね。

「何も足さない、何も引かない。 ありのまま、そのまま。この単純の複雑なこと」

これってウィスキーだけじゃなく、スポーツの指導にも当てはまる言葉でもあります。

小学6年生まで錦織圭選手を指導していた柏井コーチは、「圭の“邪魔”をしないよう指導していた」と言っていました。

お子さんに何かを足す、何かを変える、何かをやめさせるのは、お子さん本人が望んでからでも遅くはないと思います。

以上、山崎もタリスカーもイチローズモルトも全部同じに感じる味オンチの独り言でした。 

パデル アジアカップ FIP125 
先週末千葉で開催されたアジアカップ(国別対抗戦)、女子優勝しました!

いろいろな意味で難しい大会であったと思いますが、しっかり勝ち切るところは素晴らしいと思います。

女子日本代表コーチ冥利に尽きます。
パデル アジアカップ FIP125 
・・・と胸を張って言えたらよかったのですが、今回私自身が男子のほうで個人戦団体戦共に出場していたため、まったくと言っていいほど女子チームに関わることが出来ませんでした。

玉井監督、知念キャプテン、そして選手のみんなごめんなさい。

でも最後のミーティングでみんなの想いも聞け、また今回の大会で女子の課題もいくつか見えてきたのは個人的にはよかったと思っています。

画期的な解決策はないと思うけど、少しずつ前に進みながら、特にディフェンスの実力を積み上げていきつつ来年の予選に備えましょう!
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 







パデル アジアカップ FIP125 
一方男子は決勝でオーストラリアに負け、準優勝。

そしてそのオーストラリアに準決勝で僅差で負けたのがカタール。

来年のWORLD PADEL CHAMPIONSHIPSのアジア予選は、日本・オーストラリア・カタール、この三つ巴になりそうです。
パデル アジアカップ FIP125 
今回の大会は収穫もあり、課題も見えた大会でした。

相手国に対する対策ももちろん必要ですが、個人個人がもう少しやれることを増やすことがまずは必要で、そうすることで結果的により多くの対応策が生まれると思っています。
パデル アジアカップ FIP125 
とはいうものの、これは女子も男子もですが、代表選手のほとんどは普段仕事をしながら練習に励んでいます。

2月に代表選手の発表があり、それから今回の大会まで選手全員可能な限りパデルコートにいる時間を増やそうと努力していたのは間違いない。

時間もお金もエネルギーもすべてパデルに注いでこの2か月過ごしてきたのは間違いない。

でも選手というのは「勝ち」か「負け」で判断される。

「あーあ」
「すごーい!」

このどちらかでしか判断されない。

桜井さんみたいに、白と黒のその間に無限の色が広がっている、なんて誰も言ってくれない。
 
だから悔いが残らないようにやりたい、でも現状それも出来ない。

「やり切りたい」のに、現実の生活を考えるとそこまでやり切れない。

というより、「なんとかギリギリやっている」という選手もいるかもしれない。

悔いが残らないようにすらやれない。

でも試合では勝たなければいけない。

勝ったとしてもそれまでの自分に完全に納得がいくことはないし、負けたら必ず「もっと練習しておけばよかった」と後悔の念が生まれる。

だからといってパデルとの向き合い方は現状なかなか変えられない。

そんな様々な葛藤を抱えた選手が流す涙を見て、もらい泣きしないわけがない。

パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
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パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
パデル アジアカップ FIP125 
全員カッコ良過ぎます。

こんな表情されたら全盛期の羽賀研二ぐらいモテちゃいます。
パデル アジアカップ FIP125 
今回も残念ながら悔し涙でしたが、来年こそは嬉し涙に変えたいと思います。

この想いは高松監督もコーチのAsierも、そして試合に出られなかったトミカズも同じ気持ちだと思います。
パデル アジアカップ FIP125 
来年の予選まで約一年三か月。

月並みですが、後悔の無いよう一日一日を過ごしていきたいと思います。

もうこの涙は流したくない。

パデル テニス スカッシュ 大井町 スポル
松岡修造さんはテニスには「楽しむテニス」と「世界を目指すテニス」の二種類があるとよくおっしゃっています。

楽しむテニスでは問われないけど、世界を目指すテニスでは問われることがあると言います。

先日の引退会見でイチロー選手は、

「18、19歳の頃は1軍に行ったり、2軍に行ったり。そういう状態でやっている野球は結構楽しかった。94年、仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいて、この年まででした、楽しかったのは。その頃から急に番付を一気に上げられて、それはしんどかった。やはり力以上の評価をされるのは、とても苦しい。そこから純粋に楽しいということは、もちろんやりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんあった。しかし、楽しいかというと、それとは違う」

と言っていました。

テニスや野球のようなメジャースポーツではない場合はどうか。

セパタクローという「先輩」の言葉です。

セパタクローは日本ではまだメジャースポーツとは言えませんが、東南アジアではメジャースポーツだそうで、パデルも日本ではまだまだですが、ヨーロッパや南米ではメジャースポーツ。

共通点がありそうです。

「日本代表になりたい……」セパタクローに転向「それぞれの理由」 日の丸を背負って見えた風景とは?

「試合の結果だけでなくそれまでのプロセスや、その試合で勝利する一瞬のために積み上げてきたものがあって、それを試合で表現することで、その姿にお客さんが共感したり自分を重ねて感動させられることができると思っています。(中略)トップクラスのプレーをし続けることが日本代表の役割だと思っています。見ていてすごいな、かっこいいなと思ってもらえるために良いプレーをし続けること。それだけではなく代表選手はそのスポーツ自体の普及のために自分たちで発信することを率先してやるべき立場だと思います。また競技のトップ選手になるので、プレーもさることながら人間としての立ち振る舞いも見られてくるので人としても成熟し、その姿も人に見せて行きたいと思います」
パデル テニス スカッシュ 大井町 スポル
プロセスも必要
結果が大事
良いプレーをすることは当たり前
普及のために自ら発信
成熟した人間であること


これらのことが「日本代表」には求められるとセパタクロー先輩は言っています。

こうなってくると「楽しむ」という次元ではなくなってくるように思います。

パデル女子日本代表監督の玉井さんも、「エンジョイパデルではよくても、日本代表のパデルではよくないことがある」とおっしゃっていました。


よく様々な競技の日本代表の選手が、

「今度の試合は楽しみたいと思います」

というような発言を会見等でしているのを耳にしたことがありますが、先ほど挙げた「プロセスも必要・結果が大事・良いプレーをすることは当たり前」を踏まえたうえで楽しむと言っているのですから、それまでに積み重ねてきているものが垣間見えます。

結果を出すことだけでいっぱいいっぱいになりそうなところで、楽しみたいと言える選手に私もいつかなりたい。


長くなりましたが、日本代表になるということは「失うものがあるから手に入れるものがある」ということです。

28年前のちょうど今日発売されたリンドバーグの名曲、GLORY DAYSの歌詞の意味がやっと分かりました。

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