ここ数ヶ月ずっとこの言葉が頭の中に出てくる。

「いつだって自分が死と隣り合わせだって意識することがいちばん重要なことなんだ。そう思うことで人生の大きな決断が容易になるんだ。
他人からの期待、プライド、恥をかくことや失敗することに対する恐れの感情、その他モロモロ。そんなものは、“死”の前ではチンケなものにすぎない。
僕らはいつだって素っ裸だ。自分の心のままに生きようとしない理由なんてあるのかい?
時間は限られてる。だから、他人の人生を生きちゃいけない。時間を無駄になんかしちゃいけないんだ。Stay Hungry. Stay Foolish…」

有名なスティーブ・ジョブズの言葉。

こっちから日本を見るといろいろ俯瞰してものが見れる。
日本にいたときは大事だったものがたいして大事ではなく思えたり、おざなりにしていたものを大切にしたくなったり。
そして他人の人生を生きてる人が多いなというのも感じる。
もちろんその人と同じ目標なら同じ人生を生きればいい。
けどそうじゃないなら早く自分の人生を生きたほうがいい。

「安定した生活が送れる状態が確保出来たらいつでも会社辞めるんだけどな」
「いいスポンサーがいればすぐにでも海外に行くんだけどな」

こう思う人は多い。
誰かが“自分の人生を生きるためのお膳立て”をしてくれたら自分の人生を生きられるのに、と思っている人はけっこう多い。(そうじゃない人もいるのが嬉しく心強い)

あなたがSNSのフォロワー100万人いるなら別だけど、あなたのお膳立てをしてくれるほど他の人だってひまじゃない。

私は若い頃恩師に以下の二つの言葉をいただき、その言葉は今でも覚えてる。

「生きていくうえで理想と現実のバランスをどう取るかだね。それは本人にしか決められないことだから」
「歳をとって病院のベッドで死を待っているとき、自分の人生を振り返って後悔することが少ない人生のほうがいいよ」

大なり小なり決断を迫られたとき、いつもこの二つの言葉を思い出す。

もう一つ覚えている。
「(多くの人が羨む人を指して)その人が素晴らしい人かどうかはその本人がいちばん分かっている。ズルしてそうなったのか、自分の努力でそうなったのか。自分で努力したからと胸を張って言えるほうが当然後悔はしないよね」

遠くから見たらすごくても、近くで見たらがっかりということはこれまで何度か目にした。
長いものに巻かれたほうが後悔しないのであればそうしたほうがいいし、忖度したほうが後悔しないならそうしたほうがいい。

でもそれって結局は他人の人生を生きることになるんじゃないだろうか。

私の生き方はあまり普通ではないと思うが、そもそも普通とは何か。
普通である必要があるのか。
そこも自分なりの答えを出す必要があると思う。

物理的にも精神的にも日本から離れることでいろいろなことが客観的に見える。

世間が思うことと自分が思うことにギャップが生まれたとき、決断を迫られる。

他人の人生を生きるのか、自分の人生を生きるのか。

無難に生きるのか、馬鹿になり切るのか。

「あのとき挑戦せず無難な選択をしてよかった!」
「自分を押し殺してあの人の言うことを聞いておいてよかった!」

死ぬ間際に病院のベッドでこう思わないことだけは自分で分かっている。
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