パデル テニス スカッシュ スポル 一万時間の法則
久しぶりに感銘を受ける本に出会いました。

スポーツに限らずどの分野でもこの「才能vs努力」論争というのは尽きません。

「一万時間の法則」を読んでは努力に傾き、「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか」を読んでは努力だけではさすがに抗えない部分もあるのかと少々落ち込みもしました。

ですがこの本でかなりすっきりしました。

結論から言うと「努力がすべて」ということでした。



生まれつきの才能で超一流になった人などおらず、またトッププレーヤーに共通の遺伝的特徴なども存在しない

長期間に渡る厳しい練習をせずに並外れた能力を獲得したと断言出来るケースには一度もお目にかかったことがないと断言できる

これまで生まれてきたいわゆる「天才」たちに対して、生まれつき才能があったと結論付けるしかない、という証拠は一つもない

自ら選んだ分野で十分な練習を積み、一定の能力レベルに達した人の間では、誰がトップとなるかを決定するうえでなんらかの遺伝的能力が影響することを示すエビデンスはない

「生まれつき才能がある人」を特定する方法は、いまだ誰一人見つけていない



もちろん「ただ努力する」だけではダメで、しかし限界的練習を継続すれば「誰でも」エキスパートになれるという内容でした。

限界的練習とは簡単に言うと、「自分のコンフォートゾーンの少し外側で練習すること」で、練習時常に脳と身体に負荷をかける練習法。

映画のトップガンのように自らを半強制的に「デンジャーゾーン」に身を置くということ。(実際も映画の内容に近いトレーニング内容だったそうです)

これをし続ければ誰でも自分の分野でエキスパートになれると説いている。

その分かりやすい例として、腕立て伏せの世界記録10507回連続という数字を挙げていた。

その限界的練習のやり方や根拠が載っていて、しかもそれは特別なものではないのが素晴らしい。

誰でも出来る。

ただ一般的に人は「快」を求めて日々行動するので、自ら「不快」と感じるゾーンに自分を持っていくという部分が難しい。

リフレッシュのためにパデルしに来たのに、脳にストレスがたまる
気持ち良く汗流しに来たのに、筋肉痛が起そうなぐらい身体的にきつい

これが嫌だから自分の心地良いコンフォートゾーンの中でプレーする。

気が置けない仲間とプレーし、疲れたら休む。

残念ながらこれでは成長は見込めないのだ。

もちろんすべての人が上を目指さなければいけないというわけではないが、著者は「たとえ自らの分野の最先端に到達出来なくても、自分の人生を主体的に選び、能力を高めていくという挑戦を楽しむことは誰にでも出来る」と言っています。

はないちもんめの歌詞にも出てくるじゃないですか、「挑戦しよう、そうしよう」って。


冗談はさておき、文中の、

「限界的練習は本質的に孤独な営み。上達出来るかは自分一人でどんな練習をするかにかかっている」

という言葉に救われたのと同時に、改めて身が引き締まる思いがしました。