日本パデルアカデミー(JAPAN PADEL ACADEMY)

当アカデミーは「世界に通ずる日本人パデルプレーヤー・コーチの育成」を目的に2016年に設立されました。 日本初のパデルプレーヤー・パデルコーチ育成に特化した専門機関です。

レマテ

スマッシュ(レマテ)はテニスと同じ、か

パデル レマテ バンデッハ レボテ スペイン

テニスの技術の中で、そのままパデルでも使える技術がいくつかある。

その中でもスマッシュ(スペイン語ではレマテと呼ぶ。レマテには“仕上げる”というような意味合いがある)はそのまま使えそうな気がする。

だが細かく見ていくと、テニスのそれとは求められる技術や戦術が微妙に異なる。

テニスのスマッシュで求められるのは、大雑把に言うと、

効率的な腕(身体)の使い方が出来るかどうか
リーチ(の長さ)があるかどうか
コースの打ち分けが出来るかどうか

などがある。

一方パデルの場合、この三つに加えて、

ボールに(様々な)回転が掛けられるかどうか
壁に当たったあとに飛んでいくボールの方向をコントロール出来るかどうか
ボールを強く打つことも弱く打つことも出来るかどうか
スイングを緩める(止める)ことが出来るかどうか


なども考慮した技術が必要になる。

テニスにおけるスマッシュの場合、「身体をかなり伸ばして打たなければいけないようなとき」や「かなり深いロブを(グラウンドスマッシュ含め)打つとき」といった、イレギュラーなシチュエーション以外では基本的にはフラットな当たりでなるべく速いスマッシュを打つ。

当たり前だがテニスには壁がないので、相手の身体の横をボールが抜けてしまえば100%ポイントが取れる。
だから「ボールを相手の取れないところに速く打つ」というシンプルな戦術はとても有効である。

一方パデルでは壁から跳ね返ってくる(もしくは壁からボールを出す)ことを想定して打たなければいけないため、スマッシュにおいてトップスピン、アンダースピン、フラット、時にはサイドスピン(正確に言うと異なった技術になるがここでは省略する)といった様々な球種の中からベターなものを選択しなければいけない。

そして最後の「ボールを弱く打つこと」についてだが、テニスで相手にスマッシュを打たれそうという場合、一般的にはコートの後方に下がって相手のスマッシュに対応しようとする。

なので、「スマッシュの構えから相手コート手前に短くボールを打つ」という戦術はテニスでも使えそうな気はする。

だがそれを取られたときのリスクと、相手のオープンコートに速いスマッシュを打って取られたときのリスクを比較すると、圧倒的に後者のほうがリスクが低い。

いわば「スマッシュの構えから相手コート手前に短くボールを打つ」という戦術は、「ハイリスク・ローリターン」な選択なため、テニスでこの戦術を使うプレーヤーはほぼ皆無である。

一方パデルは、相手にスマッシュを打たれそうという場合コート前方に移動することが多い。

そのため、コート後方の壁からあまり跳ね返ってこないようにスマッシュを打つというのは、オープンコートにボールを打っているという意味でも有効であるし、仮にそのボールを取られたとしても相手はコート後方に下げられているため、次に相手が打ってくるボールで逆襲を食らうというリスクが少ない。

というわけで「ローリスク・ハイリターン」な選択とも言えるため、パデルではこの「スマッシュの構えから弱くボールを打つ」という戦術は多く使われる。



どうだろうか。

これだけでも十分テニスのスマッシュとは違うと言えるのではないだろうか。

他にもまだスマッシュで考慮しなければいけない違いがあるので、それについてはまたいつか書きたいと思う。

それだけじゃない

パデル レボテ バンデッハ レマテ ボレー

「結局は身体の反応でしょ」  

パデルに限らず人生の中でスポーツをほとんどしてこなかった人、あるいはスポーツと(真剣に)向き合ってこなかった人というのは、往々にしてこの一言で「スポーツ」というものを括ることが多々あります。

イチローの「(ボール球にも)身体が勝手に反応してしまう」という言葉もありますし、突き詰めていけばこの言葉もある意味的を得ていると言えるのですが、スポーツと真剣に向き合っている人に対してスポーツは「頑張ってなんとかなるもんじゃない」「努力したって無駄」とも取れるような発言をする人というのは、 突き詰めて突き詰めて一周回ってこのような単純化したことに戻って来たわけではなく、ごく浅い意味で言っているであろうことは容易に想像が出来ます。

少なくとも自分自身ではスポーツに真剣に向き合ってきたつもりの私としては、当然のことながらこういった発言をする人が嫌いなのと同時に、もっとスポーツの価値、スポーツをしている人の価値を高めたいと強く思わされます。

自身の身体を意のままに操ることの難しさ、パデルやテニスであればそれに加えてラケットという物体を意のままに操る難しさ。

その動きが自然と出せるようになるまでに反復練習で費やした練習時間。

その技術を使って相手や見ている人をも唸らせる戦術を、自然と繰り出すまでに昇華させた頭脳。

その練習が必要だと感じる洞察力、その練習に時間とエネルギーを注ぐと決める決断力。

出場しなければ「勝ち負け」という判断を下されずに済むのに試合に出る勇気。

こういった背景を知って人のプレーやプロの試合を見るのと、ただ見るのとでは月並みな表現ですが感動がまったく違います。







これらのラリーを見て、「すごーい」の一言で終わらせてしまうような人ではなく、思わず感動の涙を流してしまう人を一人でも増やしていきたいと思います。
 

勉強が先かスポーツが先か

パデル レボテ バンデッハ レマテ ボレー

「日本のスポーツ界について大きな疑問を感じるのは、スポーツをする人が勉強をしないことです。なぜこのような傾向が風土として根付いてしまっているのか、非常に理解に苦しみます」


これは元ラグビー日本代表のエディー・ジョーンズさんの言葉ですが、 もっともな言葉だと思いますし自分でも自覚があります。

なんとなく日本人の空気として、「一芸に秀でる」「勉強か運動か」といった、「二者択一」や 「0か100か」といった選択のほうが良しとされる傾向があります。

 文武両道というのは言葉だけで、実際の社会では歓迎されていないのではないでしょうか。

現在はそうでもないかもしれませんが、 少なくとも昭和生まれの人の多くはこのような空気は感じていたと思います。
 
また、本来は上も下もないのですが、勉強が出来る人は運動が出来る人を「脳みそも筋肉で出来ている」、運動が出来る人は勉強が出来る人を「ガリ勉野郎」と、それぞれ中傷し合います。

理想は勉強も運動も出来るのが理想ですが、今思えばなぜどちらかにウェイトを置かなければいけないような風潮があったのかとても不思議です。

いわゆる日本の「集団意識」がそうさせるのでしょうか。

「お前はどっち派なんだ?」ということを明確にしないと仲間に入れてもらえないといった、目に見えない圧力のようなものもあったような気がします。

私自身は、勉強ができる人をガリ勉野郎と罵っていた「脳みそが筋肉」派でしたが笑、今思えば、もっと勉強しておけばよかったと思っています。

先ほども言いましたが理想は文武両道で、どちらかを先にやらなければいけないとしたら、勉強が先だと今は思っています。

なぜかというと、運動(スポーツ)を突き詰めていくと必ず学問が必要となるからです。

そこをうやむやなままにしておくと、主観や「なんとなくそう思う」といった、「動物的勘」でプレーするしかなくなるからです。

これのみでトップアスリートになるには、元からの才能に恵まれていない限り無理だと思います。(もしかすると格闘技やコンタクトスポーツなどはちょっと違うかもしれません)

若い頃勉強をしなかったツケが今回ってきていますが、若い頃のように「何に役立つのか分からない」という状態のまま勉強しているわけではないので、そこまで苦ではないのが唯一の救いです。

校長


庄山大輔(Daisuke Shoyama)

スポーツギフティング「UNLIM」
パデルプレーヤー庄山大輔

スペインメディア「Padelsuis」インタビュー記事
私はパデル中毒

☆WPT Lugo Open出場(2021)
★WPT Barcelona Master出場(2021)
☆WPT Valladorid Master出場(2019)
★アジアカップ優勝(2019)
☆全日本パデル選手権優勝(2017・2018)
★世界ランキング最高位257位


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戦績
2018FIP100優勝

2019NFIP125優勝

2019FIPPromotion準優勝

第3回アジアカップ(国別団体戦)準優勝

自己最高位世界ランキング257位

パデル男子日本代表コーチ

前パデル女子日本代表コーチ
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