日本パデルアカデミー

テニスとスカッシュのハイブリットスポーツ、パデル。 パデルは40年ほど前にスペインで生まれたスポーツで、欧州や南米を中心に親しまれており、本場スペインではテニス人口を上回る競技人口をもつ人気スポーツとなっています。 「パデルが上手になりたい」という方のお役に立てれば幸いです。

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スペインレッスン会11月jpeg
今月の単発受講可能の特別レッスンの日程です。

今月は時間やクラス設定に多少変更がありますのでご確認ください。

年内の特別レッスンは今月が最後となります。

来月はスペインに行ってきます。

今回は向こうで様々なタイプの選手とプレーすること、ワールドパデルツアーに出場している(た)選手とプレーすること、またそういった選手を指導してきているコーチからパデルの本質を学んできたいと思っています。

また、前回行ったときは実現出来なかった向こうで行われている大会にも出たいと思っています。


テニスも同様ですが、パデルにも様々なプレーヤー、様々なプレースタイル、様々な指導者、様々な指導スタイルがあるはずです。

ですがこれまたテニス同様、「強い選手皆が共通してしていること」「良い指導者達が口を揃えて言っていること」があるはずで、そこには必ず真理が隠されています。

「個性」ではなくそこの「本質」の部分を感じ取ることが出来れば、より間違いの少ないパデルを伝えることが出来る、と思っています。

研修期間中レッスンをお休みしたりと周りの方にご迷惑をお掛けすることになりますが、今回私のわがままを許してくださった会社や周りのスタッフの皆さんには本当に感謝しています。

そんな皆さんには感謝のしるしに、今話題のカタルーニャで誕生したチュッパチャプスをお土産として買ってきたいと思います。

プレーヤー兼指導者として一回り大きくなって帰ってきますのでよろしくお願いします。

パデル 東京 コート コーチ

パデルもテニス同様グリップ(の握り方)、スタンス、体重移動、ボディターン(の程度)、(インパクト時の)身体の向き、腕の曲げ伸ばし(の程度)、フォロースルー、フィニッシュ(の位置)と、プレーヤーは様々な動作を連動させて各ショットを打っている。

もちろん打球している一瞬の間にこれらを同時に考えられるわけがなく、手出しや球出し練習といったクローズドな練習で一つ一つ作り上げていく。


ここで一つ質問です。

パデルやテニスのように自分の打ったボールをある一定の決められたエリアに入れなければいけないスポーツをする場合、一番最初に気をつけなければいけないことは何か。

ボールのスピード?
ボールの回転?
綺麗なフォーム?
素早い身のこなし?

いいえ、いちばん最初に気をつけなければいけないことはボールのコントロールです。

速いボールは打てるけど狙えない
回転をたくさんかけて打てるけど狙えない
綺麗なフォームで打てるけど狙えない
速く動けるけど狙えない

というのと、

ボールは遅いけど狙ったところに打てる
回転はかけれないけど狙ったところに打てる
綺麗なフォームではないけれど狙ったところに打てる
速く動けないけれど狙ったところに打てる

どちらの選手が強いか。

言わずもがなですね。

右を狙ったのボールが左に行く
コートに入れようとそっと打ったのにアウトしてしまう

これでは相手と闘う以前の問題です。

まず自分を操れなければ、相手を操ることなど出来ません。

こういった方、けっこう多いです。

批判を恐れず言えば、狙えない人は「パデル」ではなく、ただ「どっちが相手コートにたくさん返せるか対決」をしているだけです。

パデル特有のゲーム性や戦術を駆使して楽しむ以前の問題です。

逆説的になりますが、狙える人が少ないからテニスでもパデルでも「何回も返せる人」が勝つことが多いのです。

当たり前ですが相手は狙えないのですから、こっちは何回も返していればいつか相手はアウト(もしくはネット)します。

よく一流アスリートが、「苦しいときほど攻めないと勝てない」とコメントしているのを耳にしますが、あれを鵜呑みにしてはいけません。

こうコメントしている選手の相手も一流アスリートなわけで、針の穴を通すようなコントロールの持ち主同士で闘っているからこそ、こういった思考になるわけです。

「ボールを何度も相手コートに返して相手のミスを待つ」というのは、一般の方にはもっとも実行しやすく、また効果の高い戦略です。

これを消極的でカッコ悪いと思う方も多いですが、個人的には積極的にプレーして負けるほうがよっぽどカッコ悪い。

そんな勝ち方で勝っても面白くないと思う方も多いですが、個人的には最終的に負けるほうがよっぽど面白くない。


まず何回も相手コートに返せるようになってください。

次に各ショット狙って打てるようになってください。

そして精度を落とさないままボールを速く打てるようになってください。
 

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何度も睡魔に襲われましたが無事読了しました。

興味深かったのは、「100年間生きるためには」という視点に変わると、今まで良しとされていた生き方や決断がそうでなくなったり、またその逆の可能性があるということ。

この本の中で一貫している主張の一つに、「100年生きるということを厄災ではなく恩恵にするには、自分自身を知ることが必要」というのがありました。

「自分が何をしたいのか、どのようにそれを達成したいのか、何が自分にとってうまくいくのか、自分が何を楽しく感じ、何に価値を見出すのか、何が自分という人間と共鳴するのかを知る必要がある」

これらは昔からよく言われていることですが、100年生きる世代はこれらをより深掘りしなければいけないようです。

これと関連して、

「長い人生を生きる上では、何かに打ち込むことが重要で、何かに習熟しようと思えば、しばしば強い意志を持って、学習と練習と反復に何百時間、ことによると何千時間もの時間をつぎ込まなくてはならない。それを実践する覚悟の有無によって、学習への意欲が測れる面もある」

と著者は言っているのですが、ここはパデル(や他のスポーツ)に習熟する際にも同じことが言えます。

多くの人が「(上達したいという)意志が長続きしない」「地道な反復練習に何百時間も注ぎ込む覚悟がない」のは、“自分ならきっと出来る”という気持ちが揺らぐから。(と本書でも言っています)

うまくいかない日々が少し続いただけで、「これ以上やっても無理かも」「やめて違うことやろうかな」「やっぱり自分は向いてないんだ」となってしまう。

この本の著者はこういった人達に対して、

「未来に得られるかもしれない恩恵のために、今厳しい決断が出来るかどうか。これはセルフコントロールの問題」

と言っています。

また、

「セルフコントロールの能力は人によって異なる。幼児期から違いは現れる。物事に習熟するためには、満足を先延ばしにすることが出来るかどうかが重要。何らかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵のために目先の快楽を我慢しなくてはならない場合が多い。セルフコントロールは後天的に身につけることが出来る。物事に習熟するために快楽を先延ばしにする能力は学習出来る」

とも言っています。(これと似たようなことは以前「だってやることやってきてるから」に書きました)

極論ですが、

「今すぐ点が取れそうなレマテやビボラばかり練習するのか、数年後を見据えてレボテやバンデッハなども練習するのか」

もしくは、

「楽しいから朝まで呑んじゃうのか、明日の練習(試合)に備えて終電で帰るのか」

「今目の前にある大福に手を出し甘味の幸せを感じるのか、近い将来過体重が原因の怪我のリスクを抑えるために我慢するのか」

といったところでしょうか 笑

これを書いている今、私はなんとか冷凍庫にあったジャイアントコーンの誘惑に勝ち、見事セルフコントロールに成功したところです。


いろいろ収穫のあった本ですが、一番の収穫は「自分はまだ平均寿命の半分もいっていなかった」こと。

最新の統計では1977年前後に生まれた人は95〜98歳まで生きるそうで、だとすると人生という名のマラソンの折り返し地点のコーンもまだ回っていないことになります。

そう考えると「まだまだなんでも出来る」という気になるから不思議です。

なので80歳ぐらいになってもパデルコートに立つことが出来、さらに「あのジジイ、壁使うの超上手くて腹立つわ〜」とナウいヤングに陰口言われるようになることが今の目標です。





















情熱を抱ける職に就き、専門特化した小規模なチームで柔軟な働き方をする人には、仕事と私生活の境界線が曖昧になる。

これからはもっと柔軟性を持ち、将来に方向転換と再投資を行う覚悟を持っておくこと。

教師に求められるようになるのは、共感、モチベーション、励ましなどの繊細な対人関係のスキル。

知識の量では差がつかず、その知識を使ってどういう体験をしたかで差がつく時代になる。

自身の変身を成功させるためには、自分についてある程度理解していることが不可欠。自分の過去、現在、未来についてほぼ絶え間なく自問し続けること。

変身のプロセスが受け身の体験ではないことも明白。私たちは考えることではなく、行動することによって変化に到達する。新しい経験に対して開かれた姿勢が必要。

人が大きく変わるのは、行動の仕方やものの感じ方だけでなく、ものの知り方を変えるときー何を知っているかだけでなく、どのように知っているかを変えるとき、変身は起きる。

不安は心地よいものではないが、適応を促し、新しいやり方を受け入れる背中を押す場合がある。

自分の人生を自分で決めることには、リスクがついて回る。多くの選択肢と向き合わなくてはならないからだ。場合によっては過去とほぼ完全に決別し、既存の行動パターンが頼りにならない新しい道に踏み出すことも検討しなくてはならない。

長寿化でマルチステージの人生を生きるようになれば、人生の様々なステージを経験する順序は一様ではなくなり、またすべての人がすべてのステージを経験するわけでもない。そしてどのステージを魅力的と感じるかは人それぞれ。

年齢とステージが切り離されるに伴い、以前は特定の年齢層に特有だった要素が幅広い年齢層で見られるようになる。マルチステージの人生を生きるためには、これまで若者の特徴とされていた性質を生涯通して保ち続けなくてはならない。その要素とは、若さと柔軟性、遊びと即興、未知の活動に前向きな姿勢。

行動することの楽しさに浸る。最も遊び心を発揮出来ているときは、その行動を取る理由はどうでもよくなる。

自分の人生を自分で決めれば、リスクが避けられない。多様な選択肢に向き合わなくてはならないからだ。このとき個人に求められるのは、必要ならば過去とほぼ決別し、既存の行動パターンが指針にならない新しい行動を検討する覚悟を持つことである。

長寿という贈り物を手にする世代は、選択肢が多く、多様な人生を送ることが出来、多くの選択をする必要がある。そのため、正しい道を選び取るために時間を費やすことの重要性が高まる。未来を見据えて、自分の関心と情熱に沿った教育を受けること。自分の価値観に適合し、やりがいを感じられ、自分のスキルと関心を反映していて、しかも袋小路にはまり込まないような仕事を見つけること。自分の価値観を尊重してくれ、スキルと知識を伸ばせる環境がある就職先を探すこと。長く一緒に過ごせて相性のいいパートナーを見つけること。一緒に仕事が出来て、自分のスキル及び働き方との相性が良く、できれば自分を補完してくれるビジネスパートナーと出会うこと。

長寿化の時代に生きる世代は、選択肢の重要性を知っていて、選択肢の探索・創造に多くの努力を払う。選択肢の保有は不確実性が高いほど価値が高まる。だからこの世代は結婚を遅らせ、子供を作るのを遅らせ、マイホームやマイカーを買うのを遅らせて来た。選択肢を狭めるような決断は先送りにするのだ。現実には旧来の3ステージ的な発想では、無責任な生き方と言われる。だがマルチステージの生き方の発想に立てば、無形の資産、とくに選択肢を生み出せる要素への投資に熱心な姿勢とも取れる。

自己効力感(自分なら出来るという認識)。自己主体感(自ら取り組むという認識)

70-80歳になったときの私は、今私が下している決断を評価するかどうか。

あなたは引退後の自分が何をしたいと望み、何を楽しいと感じるか想像出来るだろうか。

人は概して、遠い将来のことには比較的辛抱強いが、近い将来のことにはせっかち。短期的には忍耐心がないが、長期的には忍耐心を発揮出来る。

生涯を通しての幸福を生む最大の源は、無形の資産、つまり家族や友人との関係、それに好奇心や情熱。

長時間人が働く理由は、ステータスの問題も関係している。
長時間働く人は自分が必要とされていると本人も感じるし、他人にもそう思われる。自分に自信が持て、他人から高く評価される可能性がある。そのため長時間働くことを好む人がいる。

仕事の時間が減ったかもしれないが、余暇時間は増えているか。

一日の労働時間を減らすより、休日を増やし、勤務日の労働時間を長くするほうが賢明なのかもしれない。

週休3日、一日11時間労働。余暇時間の多くを引退後にとっておくのではなく、人生全体に分散させ、代わりに75歳まで働くようにする。

人生において重要なのは、あとで変化を突きつけられるのではなく、今変化を予期して行動すること。

人生の様々な時間に時間的ゆとりが増えれば、自分がどういう人間かを探求する機会を得られるであろう。それにより、自分が生まれた社会の伝統に従うのではなく、自らの価値観や希望に沿った生き方が出来るようになればそれ以上の「長寿の贈り物」はおそらくない。

計画と実験は、人生に目的と個性を生み出し、アイデンティティを形作る心理的連結性をもたらす。

100年ライフの計画を立てるためには、自分が何をしたいのか、どのようにそれを達成したいのかという重要な決断をしなくてはならない。

私たちが適切な準備や行動をしないのは、それがもたらす結果を恐れるからではなく、未来について驚くほど楽観的な考えを持っているから。

あり得る自己像の選択肢が大きく広がる時代には、実験を通じて、何が自分にとってうまくいくのか、自分が何を楽しく感じ、何に価値を見出すのか、なにが自分という人間と共鳴するのかを知る必要がある。

長い人生を生きる上では、何かに打ち込むことが重要だ。何かに習熟しようと思えば、しばしば強い意志を持って、学習と練習と反復に何百時間、ことによると何千時間もの時間をつぎ込まなくてはならない。それを実践する覚悟の有無によって、学習への意欲が測れる面もある。

物事に習熟する上で鍵を握るのは自己効力感(自分ならできるという認識)と、自己主体感(自ら取り組むという認識)。

自己効力感を高めるには、世界で何が起きていて、変化に対処するために何が出来るかについて、誰もが理解を深める必要がある。

自己主体感に関して難しいのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、今厳しい決断ができるかどうか。これはセルフコントロールの問題。

セルフコントロールの能力は人によって異なる。幼児期から違いは現れる。物事に習熟するためには、満足を先延ばしにすることが出来るかどうかが重要。何らかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵のために目先の快楽を我慢しなくてはならない場合が多い。

セルフコントロールは後天的に身につけることが出来る。物事に習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習出来る。

成長志向の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て行き、未来に繋がる道に思考を集中させることにより、将来の計画を貫くことが出来る。

長い人生を通して生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立て、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。

100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感を持たせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。

長寿化の真の試練は、長い人生を支えるのに必要な無形の資産をどのようにマネジメントするか。

物事がゆっくり進行しているときは、人は思い切った行動を取りづらい。変化が遅いのは人間の短期志向の強さ。今変化しても恩恵を受けるのは後になるからだ。

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