APPT JAKARTA GRAND SLAM 2024で感じたこと(前編)

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今日は9/26-29にインドネシアの首都ジャカルタで開催されたAPPT JAKARTA GRAND SLAM 2024に出場した際に感じたことを書いてみたい。

トーナメント自体は1回戦敗退ときびしい結果だったものの、月並みで恐縮だがその負けから学ぶ(気づく)ことがいくつかあったのでそういう意味では収穫のあるトーナメントとなった。

おそらく日記めいた内容になると思うが、多少なりとも誰かの何かの役に立つ可能性もあると信じて今日は書き進めていきたい。

よく聞く「自分が負けた選手を見なさい」というアドバイス

テニスの世界でよく言われるアドバイスの一つに、「自分が負けた選手(が負ける試合)を見なさい」というアドバイスがある。(他競技でも言われているのだろうか)

もちろんこれは間違いではないのだが半分当たっていてもう半分は言葉が足りないような気がしている。

なぜならこのアドバイスを効果的なものにしようと思ったら、その選手の中に「パデル(やテニス)に関する知識や経験がある」というのが必要になる(パデルアンテナの感度を高くしておく必要がある)からで、パデルの知識も経験も浅い(もしくはほとんどない)人の場合、その感度が低いため感度高めの人であれば気づくところもアンテナに引っかからずスルーしてしまう可能性があるからだ。

そうなると結局最終的に出たもの(ミスやエース)にしか意識を向けることができない。

大事なことはそのエースやミスが「なぜ」出るのかということだ。

なぜあんなに良いボールが打てるのか、なぜミスしたのか、なぜ予測できるのか、なぜ逆を突かれたのか、そこに気づけなければ負けた選手を見続けてもそんなに意味はない。

ただ一方でこの話は「選手としてその負けた選手の上を行こうとしたら」の話で、一ファン、一愛好家であればそんなことはする必要がないし、自分が対戦していたときには気づかなかった相手選手のミスが出る部分に気づくだけでも十分であり、もっと言うと負けた後に会場に残って他の選手の試合を見ようと思う時点で他の人とはかなり意識の差があることは間違いない。

何が言いたいかというと、見る(観る)という行為にもレベルがあるということで、それを高めるにはやはり知識と経験を増やすこと以外に方法がないように思う。

行動できる人は経験値を増やし、そうでない人は知識を蓄えればいい。
そんなに難しいことではないはずだ。

そういえば座学を受けたいという声が周りからけっこう出てきたので数年振りに知識を蓄える時間を近々作ってみたい。

酒とパデルと男と女

昔これと似たようなタイトルの曲があったが2024年の今、(特に日本の)パデルコートではこれが必要な気がしている。

以前ある方と話をしていて合点がいったことがある。

その方は野球が好きな方でプロ野球観戦の観点から、

お酒飲みながら内野席から野次飛ばすおじさんが如く、「あそこはバントじゃ無くて打たせた方が良かった」「なんで左のワンポイント使わないんだ」みたいにだらだら管巻くのも一興ですね。
(中略)
イギリスではBARでサッカーが同様に扱われていたり、話の内容が正解でなかったとしてもコミュニケーションツールとして扱われるのが大事かと思います。

とおっしゃっていて、日本のパデルもこうなればいいのだと思った。

私はお酒も飲まないし競技に関わらずスポーツを見るとついつい「なぜ今のようなプレーになったのだろう」という思考が頭をよぎり純粋に楽しめないのだが(これはこれでさみしい)、小学生の頃よく父親に横浜スタジアムに連れて行ってもらっていたとき、父親や父親の会社の同僚(や周りのオジサン達)がとても楽しそうだったのを覚えている。

酒もある、野球もある、友人知人もいる、そしてかわいい売り子もいる。

今考えたらシンプルに最高な状況ではないか笑

今年から参戦しているAPPTにはこれらがすべてある。

というよりヨーロッパや南米に限らず、海外のパデル施設の多くはこれらとセットになっているような気がする。(少なくとも私が訪れたことのある民間のパデル施設はもれなくそうだった)

ただ日本と違い(少なくともパデル施設内では)泥酔した人を見たことがない。(もちろんいるとは思うが笑)
楽しい気分になるところで終わりにしているような感がある。

この節度を持ってお酒を楽しむという自主規制ができればやはり「パデル×お酒×コミュニケーション」はさらなる普及に一役買ってくれると思う。

昔はこの組み合わせのイベントがたくさんあったが復活してもいいのではないだろうか。(私の知らないところで今でもやられているのかもしれないが)

ちょっと話が逸れるが、私はお酒をあまり飲まない理由として「時間が長い」「同じ話を聞かされる」「身体に悪い」「次の日がもったいない」なんかを挙げているのだが、ジャカルタで久しぶりに会った20代前半の若者も同じことを言っていてなぜか安心した笑

プレーと人格を分けて捉える

ここまで書いてきて思い出した記事があったのでリンクを貼っておく。
パデル界も大いに参考にできる点があるはずだ。

日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち

APPTに参戦するようになって思い出したのだが、海外ではこの「めっちゃ楽しそうにパデルをする下手なおっさん」が多い。
また「めっちゃ勝利に貪欲にパデルをするオバサン」もたくさんいる。

ともすると日本だと初級中級レベルの人が真剣にプレーしたり闘争心剥き出しにして勝利を目指そうとすると、「そんなに上手くないのにあんなに真剣になっちゃって」と陰口を叩かれたり、その空気を察して(悪い意味で)手を抜いたり照れながらプレーをするというのをこれまでたくさん見聞きしてきた。

そう、日本ではこの「(場の)空気」がスポーツをも支配しているのだ。

日本人の私としては空気を読まない空間も空気を読み合う空間もどちらも良いところはあると思っているが、競技としてスポーツと向き合うならば空気は読まないほうがよく、社交の場としてスポーツ施設を利用するのであれば(特に日本においては)ある程度は空気を読んだほうがいいように思う。

ただ理想を言わせてもらうなら私たちがその人の「プレー」と「人格」は分けて捉えることができるとベストなのだと思う。

これは私の仮説だが日本人の多くはここを一緒くたに捉えてしまう(そう捉えられてしまっていると思ってしまう)ため、コート上でも空気を読まざるを得なくなってしまうのだと思っている。

先ほどの記事を参考に書かれたこちらの記事も興味深い。
楽しそうにサッカーをする下手なおじさんが”足りない”理由

テーマはサッカーだが海外と日本の違いについて書かれていて、パデルも現在は同じ道を辿っているような気がする。
著者は「日本人の独特な距離感」がその一因とあるがこれはパデルも同様だと感じる。

海外ではスタンダードなコート上での言動でも、日本では「空気読めないやつ」と呼ばれかねない。
でも私はここを突破して日本独自の良い文化は残しつつも、パデル界共通の文化を日本に根付かせたいと思っている。

かなり長くなったので続きは後編で書きたいと思う。

ではまた。

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普段私が使用しているインソール↓

このカーボンインソールを使用させていただいてから今年で5年目になりますが、日を追うごとに安心感が増しています。

他社のインソールからBMZさんのインソールに変えた直後は少し「物足りない」と感じるかもしれませんが、次第に安心感に変わるので是非一度試していただければと思います。(※物足りないと感じるのはBMZさんのインソールが土踏まずをサポートすることを第一に考えていないからです)

簡単に説明すると、足(裏)を正常に機能させるには足のドームが作られていることが重要で、そのためには3つのアーチ(横アーチ・内側縦アーチ・外側縦アーチ)がつながっている必要があって、立方骨を支えるとイイ感じになるそうです。
#最後が雑

よくある「土踏まずのサポート」がメインのインソールだと、内側アーチのみが作られ、それだと「安定はするけど動きにくい」となり、BMZさんのインソールを使うとこの「安定性と運動性」の両方を得ることができます。詳しくはこちら→BMZ

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