パデルコーチ

パデルコーチ

後天的に成長できるスキルを磨く-才能に依存しないスポーツ上達法-

そういった選手の本(言葉)は読んでいて鳥肌が立つこともあるし、ときには目に涙が浮かぶこともある。時々、そんな細かいとこまで?!と思うような言葉に出会うときには一周回って降参の笑顔が出てくる。
パデルコーチ

環境が人を育てる。イメージも人を育てる。

肩書きが相手に伝わり、相手が抱いたイメージ通りのプレーがコート上で出来ているかどうかということは、パデルを生業としてコートに立つ人にとっては大事なことだと私は思っています。
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充足率100%はコーチを幸せにするか

最後の2年弱ぐらいはレッスンの充足率が100%、私のクラスにレギュラーで入るためのキャンセル待ちが出るほどまでになりました。良い結果と言いましたがこの状態もそんなに長くは続きませんでした。これを続けていると気持ちが追いついてこなくなるんですね。
パデルコーチ

スポーツ指導と感情労働

このサービス業的側面が強い(雇い主からも生徒からもそれを求められる)ところで働き続けていると(感情を商品として提供していると)、心が病んだりテニスが嫌いになっていきます。
パデルコーチ

できる“だけ”だと何が困るのか

一つは自分の調子が狂ってきたときに「治し方がわからなくなる」があります。自分のある動作が何にどう影響する(から上手に打てる)かを理解していれば、(上手に打てないという)結果が出た場合、自分の動作を微調整して修正することができます。そしてもう一つ困ることは、
パデルコーチ

「ボレーとストロークならテニスコーチでも教えられる」、のか

「パデルというスポーツのボレー」と「テニスというスポーツのボレー」は違うということです。マスターしている技術の数に差があったり、その技術の習熟度が違えば「考えていること(考えられること)」の量や質が違ってきます。
パデルコーチ

「選手とコーチ、二足の草鞋を履くのは難しい」理由

ケースバイケースですが、パデル(やテニス)の指導者に求められるのは、多くの場合選手(や生徒)が「ノッてくる」よう打つことです。ですがパデル選手に求められるのは、相手が「諦める」ようボールを打つことです。
コーチング

選手育成に不可欠な3つの要素

テニスの本と同様、身体に関する本もある程度の冊数読んでいくと「普遍的なこと」とか「あのトレーナーもこのトレーナーも同じこと言ってる」ということに出くわします。「あーやっぱりあれって大事なことなんだ」、そんな学びをこの本から得ることが出来まし...
コーチング

テニススクールでよく見かける、悲しすぎる“ボタンの掛け違い”

この悲しすぎるボタンのかけ違いはこれまでたくさん見てきましたし、私自身も何度も経験してきました。みんな一生懸命で誰も悪くない気がするんだけど、一つだけお願いがあるとしたらスクールやレッスンに通う動機に関して「ウソをつかないで欲しい」ということです。
パデルコーチ

(パデルやテニスの)コーチ・スクール業界の不都合な真実

そしてこれはあまり言いたくはないことですが、残念ながら(元)テニスコーチの中にテニスをあまり知らないという人が一定数います。当たり前ですが、元テニスコーチがパデルコーチとして優遇されるのは「テニスを知っている」という前提に立っているからです。
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