指導者も選手もそれぞれ違った形の責任があるよねーという話と、なんかスポーツだけは違うと思ってる人多いっぽいけど全然一緒だよーというお話です。
何を食べるか、何を信じるか、何に投資するかを決めるときと同じくらい気を使おうねというお話でもあります。
今のフォーム(打ち方)になった理由を説明できますか
あなたは今のフォームをどのようにして作り上げてきましたか?
誰かにそう打てと言われて?
それともなんとなく?
フォーム(打ち方)というのは大きく分けて6つに分解して考えていきます。
そしてその打ち方はグリップ(の握り方)によって(ほぼ)決まります。
打ち方だけでなく、スピードや回転量、打ちやすい(打ちにくい)コースなども決まってきます。
この「フォームによる特徴」というのは、時間的な余裕がないときほど自分の意思とは関係なく表出します。
「じゃあ最初から時間的な余裕がないときを見越してフォームを作り上げていけばいい」と考える人も出てきそうな気もしますが、そのフォームは(運動力学的にもパデルのフォームとしても)“不自然”になるため、自然なフォームを覚えるより難しく、そのため習得までに時間が余計に掛かります。
※パデル(やテニス)は自分が打ったボールが「ネットもアウトもせず相手コート内に」打つ必要があります。そのため「運動力学的にはこうしたほうがいいという動作」と、「ネットしたりアウトしたりしないようにして打つ動作」が必ずしも一致しない場合があります。
今日の本題はこれではありませんので、このグリップ(とフォームの関係性)の話はまたいつかしたいと思います。(なんでこの話をしたかは最後まで読んでいただければ理解してもらえると思います)
(スポーツの)アドバイスと食事の共通点
個人差あるとは思いますが、多くの方は自分の口に入れるものを大なり小なり選んでいるかと思います。
コンビニに真っ青のおにぎり置いてあったとしても買わないでしょうし、道端で突然知らない人から身体に良いからと真紫の液体渡されても飲みませんよね。
逆にお医者さんの言うことであれば、よほど変なことでもない限り言われたアドバイスの通りのことをしようとするのではないでしょうか。
逆に、信頼している人から渡された液体であれば真紫でも飲むかもしれませんし、グラサンにくわえタバコでも「医者」であれば「ポテチを朝昼晩三食食べれば逆に痩せる」というアドバイスを信用してしまう可能性もゼロではありません。
スポーツ指導の際のアドバイスもこれと同じなのですが、周りを見渡したとき、取り入れるアドバイスに対して自分が口に入れるものより判断が緩い人が多いなと個人的には感じています。
口に入れたものが数ヶ月後の自分の身体を構成することを知っているから、多くの人は食べ物に気を使っています。
一選手として何か自分のプレーや技術の中に新たなもの(アドバイス)を取り入れる場合、私はこの食べ物を選ぶときと同じような感覚があります。
①誰が言ったアドバイスか
②どんなアドバイスか
③私が知っている人か
④その人は私を知っているか
⑤私のプレーの特徴を理解してくれているか
⑥そのアドバイスで上手くいっている選手はいるか
⑦過去にそのアドバイスで上手くいった選手はいたか
⑧どんなバックボーンを持った指導者か
自分のプレーに関しては、私はなるべく自分で調べて試すようにしています。
どうやって調べているかは以前この記事に書きましたので、興味のある方はご覧ください。
ウチの母ちゃんの「レボテはこう打ちなさい」より、Maxiの「レボテはこう打ちなさい」のほうが安心ですし、ウチの母ちゃんの「レボテはシュッてやってバーンよ」より、Maxiの「スタンスを広くして運ぶように打て」のほうが意識しやすい。(①②)
現存してるのかしてないのか分からないような人のアドバイスは当然聞けませんしw、私を知らない人からの一方的なアドバイスも聞く気になれません。(③④)
私の長所短所を無視したアドバイスも聞く気になれませんし(⑤)、提案されたアドバイスで現在上手くプレーできている選手がいたり、過去に上手くいっていた選手がいたほうが安心して取り入れられます。
その人自身がこれまでプレーヤーやコーチとして残してきた戦績実績も取り入れるか否かの目安になります。(⑦)
現時点で指導者としての実績がなければ、その実績不足を補えるだけの知識が必要です。
指導者になりたての場合はどちらも持ってない場合がほとんどですが、その場合は残念ながら選手にアドバイスを聞いてもらうということは難しいです。(忖度、政治、権力が使えるような場合は可能ですが、その状態での指導はかなり虚しいものとなります)
スポーツと宗教の共通点
一般愛好家はここまで取捨選択してアドバイスを取り入れるのは面倒くさいかと思いますが、選手であればいくつかは意識して欲しいなと思います。
なぜなら良くも悪くもコートの上ではその選手の「頭の中にあることしか出ない」からです。
「その選手が“良い”と思っていることがコート上で出ている」とも言えます。
これはことある毎にアカデミーのみんなに言っています。
金網目掛けてボレーを連発するのも、ところ構わずネット前に詰めてボレーするのも、その選手が「良いこと」と思ってプレーしているからです。
で、「実はそんなに良いことではないのに、良いことと思ってそのプレーを続けてしまっている」選手が負け、「より良いことをしている」選手のほうが勝ちます。
先日の全日本でもこれは見受けられました。
ここは修正するとき、外側に表出している部分だけを見て修正するというのは不可能です。
なぜなら、その外側から見たら間違っている(ように見える)ことを、その選手は良かれと思ってやっているからです。
この場合その選手に、今やっているプレーがあまり良くないことを伝え、新たな別の「良いプレー」を提示し、それぞれその理由を伝えて理解してもらい、「確かにそっちのほうが良いですね」まで変化してもらう必要があります。
これ私の感覚的には改宗するくらいの難易度だと思っています。
こう考えると、パデルに限らずどのスポーツでも最初に教える人がかなり重要な役割を占め、最初が良かった場合驚くほどスムーズにステップアップできる可能性が大です。
小さい頃から良いと思って信じていた宗教がそうでもなかった場合や、大人になってから改宗する難易度を考えると、最初から良い宗教に入っていることがとても大事になるのはいうまでもありません。(何を持って良い宗教とするかは今回扱いません)
なんともまどろっこしいですが、私はこの解決方法は「話す」こと以外にないと考えています。
手っ取り早く「改宗」させたいのであれば権力暴力を使えば変化させることも可能ですが、遅かれ早かれ面従腹背感が漏れ出てくることは火を見るより明らかですし、長くは続かないのでもちろんおすすめできません。
まとめ
直接的であろうと間接的であろうと、自分の頭や身体の中に取り入れることに関しては意識的になったほうがいいです。
これを象徴するようなことがテニス時代にありました。
もう15年以上前の話になりますが、14歳以下で全日本ジュニア優勝したこともある当時30代の女性のコーチと練習後にグリップの話になり、
「○○さん、両手バックのグリップかなり厚いけどそれは意識して(そう握ってるの)?」
「いや、実業団入ってたときに当時のコーチが外人だったんですけど、とにかく(トップ)スピンかけろってずっと言われてて。そしたら知らない間にこんな(厚く)になっちゃいました」
という会話をしたことがあります。
私はコート上でも複利の力は働いていると考えていて、なのでどんなアドバイスやヒントを取り入れて練習するかということには意識的になったほうがいいと思っています。
また、100万円を投資する際、
100銘柄に1万円ずつ
5銘柄に20万円ずつ
1銘柄に100万円
でリターンが変わってくるのと同じように、どのアドバイスをどれぐらい練習するのかでその後の「リターン」も変わってきます。
そしてそれを決めるのは自分です。
結局自分(のプレー)は自分が決めているということです。
結果に満足出来ない、後悔したくないというのであれば「(自分でコントロールできるものに関しては)自分で選択する」ということに意識的になったほうがいいと思います。
【追伸】
当アカデミーではレッスンや選手クラス以外にも、
●トーナメント帯同(ベンチコーチ)
●コーチング・パデル顧問
●出張レッスン
●パデルカルテ作成
●指導者養成講座
を提供しています。
詳しくは当アカデミーのHPをご覧ください。
》JAPAN PADEL ACADEMY
私が使用しているインソールはこちら。
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